待降節第一主日 B
皆さま、あけましておめでとうございます。(笑)
・・・っていう日なんですよ、今日(※1)。キリスト教の暦
こよみ
では、今日から「新年」。まあ、お正月がもうすぐ来るから、カトリック信者は一年に二度、新年を祝える。お得じゃないですか。まあ、何度お祝いしたっていいでしょう。心を新たにするときですから。
お正月は、初心に帰るっていうか、原点に返る恵みのときですけど、われわれ教会の新年も、そうあるべき。・・・原点に返る。一番の基本に戻る。この一年の間に、いろいろとブレたり、余計なものがくっついたり、いつの間にか背負い込んだりしている、そういうものを、ちょうど年末の大掃除みたいにぜんぶきれいにして、原点に返る。
そんなときに、今日のこの個所が読まれるんですね。(※3) 「目を覚ましていなさい」 (マルコ13:33,35,37) 何に目を覚ますかっていうと、本来のなすべきことに、目を覚ます。本来の自分、本来の私たち、本来の人類、そういう本来のあり方に、立ち返る。それが、この「目を覚ましていなさい」ってことです。
イエスさまのたとえの、「家を後あとに旅に出る人」 (マルコ13:34) って、これ、神さまのことでしょうし、「僕しもべ
たち」 (マルコ13:34) って、私たちのことでしょう。つまり、神さまは、私たちに、なすべき役割、仕事、使命を与えて、「あとは任せたぞ」って旅に出た。われわれ人類は、そのような存在だって言ってるんですね。神さまが一人ひとりに、また、人類全体に、「こうするんだよ。これが一番大事だよ」って、役割を与えて、あとは、「おまえたちを信じてるぞ」「任せたぞ」って。
この地球っていう恵みの場とか、人類の歴史とか、われわれの今ある世界、そういうものはみんな、神さまのそのような、「こう生きるんだよ」という「神のみ心」「使命」を果たす場なんですね。私たちは与えられたその使命から離れるわけにいかないのに、一年中忘れちゃっているから、せめて「お正月」には目を覚まして、その原点に返ろうっていうことなんです。
じゃあ、その「原点」である使命とは何かといえば、
第1朗読に、私の大好きな言い回しが出てきました。
「わたしたちは粘土、あなたは陶工」(イザヤ64:7)これ、いいですねえ。分かりやすいですね、「わたしたちは粘土、あなたは陶工」。神がこねて、神が形作って、神が焼いて、そして、神がお使いになる。
「わたしたちは粘土」
粘土なんてね、自分では何にもできない。未来永劫ただの「粘土」です。誰かが何かにしてくれなかったら、ただもう、「粘土」でしかないんですよ。でも、そのただの粘土を、神さまが素晴らしい器に作り上げてくださる。美しく飾ってくださる。役に立つものとして用いてくださる。
・・・感謝しましょうよ。皆さん、自分をご覧ください、素晴らしい器にしていただいたんですよ。「神さま作」の器です。この世の人間国宝の作だとか、有名な文化財だとか以上の話。最高の器として、神さまはお作りになり、そして用いておられる。
感謝いたします。神さまがぜんぶお世話してくださってることに全面的に信頼し、必要ならば、こんな器も用いていただく。・・・これが、私たちの「目覚め」方。
去年、枚方のプロテスタントの教会で、招かれて、お話をしたことがあります。大学の教え子がそこの牧師となっています。
講演っていうのを頼まれてお話したんですけど、講師紹介っていうところで、牧師先生が、「ボナツィ神父は、神の愛を語り、福音を宣言する神父ですけれど、なぜ今日、この方をお呼びしたかというと、私、本気じゃないから。いや、もちろん本気でありたいとは思いますよ。本気な部分もあります。でも、いつも、ちょっと足りない。だから、「せめて本気のまねはしよう」とか、「本気でやろうって思いだけは、忘れないようにしよう」って、そういう気持ちだけは持ってる。
私は自分が本気でないことが、よく分かってます。でもやっぱり、神父やってんだから、せめて形だけでも本気な感じにしないとねえ。「ああ、あいつはやる気ないよ、さぼってばっかりだ」なんて言われるの、悔しいですからねえ。ホントはさぼってるんですよ、非常に巧妙に、上手にさぼってるんですけど、だけど、それを恥じるだけの本気さは残ってます。「もっと本気で生きたいな」っていう憧れも持ってます。本気の信者さんたちと一緒に燃えたいっていう夢もあります。結局のところ、「本気でなかったら、教会なんて何の意味もないよね」とさえ思う。
・・・なぜなら、神さまが本気だからです。
神さまの本気度はすごい。「そこまでやるか」ということを、真剣に、誠実に、どこまでも一人ひとりのわが子を愛して、本気で働いておられる。守っておられる。それをちょっとでも知ると、「ああ、これは私も本気でやらなきゃならないな」っていう気持ちになるわけですよ。誰だって、そうなりますでしょ? 「ここまでやってくれたんだから、私もちょっと、本気でやってみよう」って。そうやって結局は、たいして本気でない者さえも、神さまは上手に、ちょっと本気にさせて、使っちゃうんです。
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