Wednesday, February 22, 2017

訳者後記

訳者後記


本書は、ロマーノ・グアルディーニ教授のBesinnung von der Feier der heiligen Messe, Matthias-Grünewald-Verlag, Mainz,1939 の翻訳です。最新の英訳版 Preparing Yourself for Mass, Foreword by Henry Nouwen, Sophia Inst. Press, 1993 を参照にしました。以前、Meditations before Massというタイトルで多くの版を重ねてきました。本書は、この分野での古典と見なされていて、現在でも世界的に売られ続けています。

  翻訳に当たっては、講演調を損なわない、現代の語り言葉にする、平易な述語に移す、ことなどを宗としました。また、現代日本に住む人々に分かりづらい事柄に関して、必要に応じて脚注や付録において解説をつけました。聖書引用は主として1987年の新共同訳を使用しました。

グアルディーニ(Guardini, Romano 1885-1968)は、教授活動のかたわら、司牧活動、カトリック青年運動、典礼刷新運動にも積極的に携わり、マイン河畔ローテンフェルス城での彼の活動抜きにしては、第2ヴァティカン公会議の典礼改革は十分に推進されなかっただろう(『新カトリック大事典』参照)と言われています。

ヘンリ・ナウエンは上記の英訳版の序文において、グアルディーニを20世紀の最も重要な霊性の著作家の一人として評価しています。確かに、この数十年ミサの典礼は変わってきましたが、グアルディーニが美しく描いているミサの霊性は今でも変わりなく妥当であるとナウエンは進めています。

20年ほど前に、ミサについてお勧めできる書物を教えるように頼まれることがありました。大学の図書館で調べてみたが、適切なのがみあたらなかったので本書を訳し始めました。司牧現場を見渡すと、ミサについてもっと知りたい人は少なくない。また、御聖体に対する信仰ほど、いうまでもなくカトリック教会において致命的なものはない。にもかかわらず、どんどん世俗化する現代社会においては、その信仰がものすごいチャレンジを受けている。このチャレンジに打ち勝てるかどうかは、並大抵の問題ではないようです。グアルディーニが第28章で言っているように、「どうやら戦いのないところに本物の信仰もない。その名に値するすべての信仰者が、いつか躓きの危険や試練による裁判(trial by fire)を受けなければならない。」本書は、そのチャレンジを受けて立つために役立つように祈ってやまないものである。


ボナツィ・アンドレア

Sunday, January 1, 2017

23 記録 2

23 記録


記念 (ヘブライ語 Zikkaron[ジッカロン]、ギリシア語 Anamnesis[アナムネーシス])


神の偉大な救いの業は過去のものでありながら、歴史の流れと意味を変えるものであって、その力は現在にも続いており、やがて終末の完成を目指している。歴史的現実を土台として、キリスト教の典礼のすべては、救いの歴史の記念であるということができる。

アナムネーシス(記念、想起、記憶して行うこと)は、単に過去の出来事を主観的に思い起こすだけではなく、想起を通して、偉大な救いの業を現在の恵みの働きとして、現在化するものである。いくつかの要素をあげると、

1)記念の対象となる出来事は、どんな過去の出来事でもよいのではなく、救いの歴史の決定的なモーメントでなければならない。たとえば、出エジプトやイエスの死と復活。淡路大震災の時の人々の助け合いも記念されるが、救済史の出来事ではない。

2)救いの出来事の記憶を保つのは信仰共同体である。出エジプトによって生まれた「神の民」、あるいはイエスの復活によって誕生した新しい神の民のなかに、その記憶が保たれ、引き継がれていく。

3)救いの出来事を想起して、現在化する場は、信仰共同体の典礼であり、礼拝行為を構成する諸々のシンボルである。その中でも、「物語」(聖書朗読、説教、祈願)が核となる。物語を通して、原初の出来事が共同体のなかで追体験され、またその物語が儀式化されて演じられるとき、共同体の絆と記憶はさらに深められる。

4)記念される出来事の意味は、典礼の枠を超えて、日常生活のなかに反映されていなければならない。もともと日常の体験のなかにあるものが、典礼の儀式によって解釈され、明確化されて、再び日常生活を強めるものとなる。この関連が弱くなると、共同体の記憶は浅薄なものとなり、儀式も形骸化してしまう。