Friday, January 3, 2025

主の公現の祝日、すなわちエピファニーは、イエス・キリストが全人類の救い主として現れたことを祝う重要な日です。

主の公現の祝日、すなわちエピファニーは、イエス・キリストが全人類の救い主として現れたことを祝う重要な日です。
本日の聖書朗読であるイザヤ書60章1-6節とマタイによる福音書2章1-12節は、この出来事の深い意味を私たちに伝えています。

イザヤ書60章1-6節:光の到来

イザヤ書60章は、「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く」と始まります。
この預言は、暗闇に包まれた世界に神の光が差し込み、全ての国々がその光に引き寄せられる様子を描いています。
特に、異邦の民が黄金と乳香を携えて集まると記されています。
これは、後に東方の博士たちがイエスに贈り物を持って訪れる出来事を予示(前もって示して)していると解釈されます。

マタイによる福音書2章1-12節:東方の博士たちの礼拝

マタイの福音書では、東方の博士たちが星に導かれてベツレヘムにたどりつき、幼子イエスを礼拝する場面が描かれています。
彼らは黄金、乳香、没薬という貴重な贈り物を捧げました。
これらの贈り物は、それぞれイエスの王権、神性、そして将来の受難を象徴しているとされています。
博士たちは異邦人でありながら、真の王を探し求め、その導きを忠実に追い求めました。

公現の意味:全ての人への救い

これらの聖書箇所が示すのは、イエス・キリストがユダヤ人だけでなく、全ての民族、全ての人々の救い主であるということです。
東方の博士たちの訪問は、異邦人である彼らが最初にイエスを礼拝したことを意味し、神の救いの普遍性を強調しています。
イザヤの預言と博士たちの行動は、神の光が全世界に広がり、全ての人々がその光に招かれていることを示しています。

私たちへの問いかけ

この公現の祝日に、私たちは自らの信仰を振り返り、神の光にどのように応答しているかを考える機会となると思います。
私たちは日々の生活の中で、神の導きに敏感であり、東方の博士たちのように謙虚な心で主を探し求めているでしょうか。
また、私たち自身が神の光を受けて、それを周囲の人々に反映し、共に主の栄光を分かち合っているでしょうか。

パウロの時代にね、ユダヤ人と異邦人が一緒に祈るとか同じ信仰を持ってチームを作るとか、あり得なかったことです、今のパレスチナ人とユダヤ人のように。けれどもパウロはそれを実現させました。パウロのもとではユダヤ人も異邦人も一緒になってキリストの教会を始めたのです。パウロはそれについてこう言っています。「秘められた計画が啓示によって私に知らされた」(エフェソ3・3)と。秘められていたのですね、その計画は。なかったわけじゃない。パウロが作ったわけでもない。ちゃんと秘められていた。しかし、パウロはそれを信じて、その計画通りに教会を実現させました。救い主がこの世界に現れたのです。もはや私たちに不可能はない。どんな難しい課題でも知恵と力が与えられます。神の計画ですから、必ず実現します。あきらめてはいけない。50歳、70歳、関係なし。自らのうちに眠っている輝きを、恐れずに掘り起こすこと。人々の中に眠っている美しいその力を信じて発揮させること。教会がそのような力で満ち溢れたら、神さまの夢がこの世界でも実現いたします。ないものを出せと言っているわけじゃない。もしかすると生涯眠ったままになるかもしれない、神が与えてくださったかけがえのない知恵と力を掘り起こそう、と。

結び

主の公現は、神の愛と救いが全ての人々に開かれていることを祝う日です。
私たちもその光に照らされ、信仰の旅路を歩み続けましょう。
そして、イエス・キリストという真の光を、私たちの生き方を通して世に示していくことができますように。

参考:

iPadから送信