Wednesday, August 31, 2016

25 現実

25  現実

最後の晩餐で、主キリストが様々のことを定めたということを見てきた。救いとなる彼の愛の記念、今や完結された旧約のもとで行われたエジプトからの解放の記念に基づいた新しい聖なる民との神の新約。「すべての権能」と権威が授けられた方が旧約の終わりを宣言した。その契約が準備したことが今や実現したからである。新しい祝宴が妥当な記念として定められた。それは、「主が再び来られる」日まで、つまり歴史の終わりまで残る。
   主キリストを信じる人々は、「これを行う」ように集まり、最後の晩餐のときに行われたのと同じことをする。この命令は、キリストとの関わりを含んでいる。なぜなら、弟子が命令に従ってこれを行うときに、キリスト自身が行った最後の晩餐で起こったことは再び起こるからである。弟子はパンを取り、感謝を捧げ、祝福し、パンの上にキリストが述べた言葉を述べるようになっている。また、カリスを取り、感謝を捧げ、祝福し、主と同じように言葉を述べる。
   誰でもこれを行うというわけにいかない。その夜主が言葉を向けた人たちだけできる。最後の過越祭での食卓仲間、使徒たち、主がすでに自らの権限を授けていた人たちだけ(マタイ10章参照)。そして、彼らの後を継ぐ人たち、つまり司教たちとその典礼奉仕のアシスタント、つまり司祭たちが使徒たちの権限を受け継ぐ。
   この職務を担う人たちはそれを私用するものではない。職務という言葉自体が示唆するように、個人のイニシアチブや自発的な活動ではなく、むしろ法則に従う託された権威である。職務が存在するには、その担い手のためではなく、全体のために、すべての人のためである。
   司祭が主の命令に従ってこれを行う時、他のすべての人も司祭とともに行動し、主が亡くなった後、「彼ら [つまり、信仰者]は、使徒たちの教え、相互のまじわり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(使徒2・42)と真に言えるようになるべきである。「そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。」(使徒2・46-47)
   以上の事から分かるように、キリスト教徒たちは、他の人たちと同じように神殿の奉仕を守り、未だに古い秩序のもとに暮らしていた。彼らは、神殿とその礼拝、実に旧約の秩序全体が終わりにきていた、そして新しいライフ・パターンが徐々に形作れつつあった、ということをまだ悟っていなかった。小さな共同体がすでにまったく固有のもの、「家ごとに」パンを裂く儀式をもっていた。おそらく、初代キリスト教徒のグループが適当な住宅で集まる習慣があった。
   最初のうち、単に普通の食事をしていたと思われる。それは、兄弟の一致を築くもので、彼らのうちの貧しい人々を助ける手段であった。ところで、時どき、おそらく日曜日は、会食が特別にお祝い気分を持つようになった(使徒20・7)。本当の食事であったが、聖パウロの第一コリントの手紙によれば、必ずしも全く霊的な営みではなかった。手紙は主に当時あった誤用を狙いとしているが、これらの会食はどのようにあるべきかを示唆し、少なくとも最初は普段はどうであったかを示している。
  信仰者たちは、神の眼の前で「アガペ」、つまり愛と親睦の食事を分かち合っていた。全員が材料の持ち寄りで貢献していたと思われる。日曜日や特別な祝い日に、より長く、より印象的で、主の記念で深く満ちていた。そのとき、使徒の一人かその代表者かは会食の司式を取り、イエスの生涯とその教え、救いをもたらすその死について語ったであろう。
   例えば、コリント教会への第一手紙において、聖パウロは信仰者たちに、食事に集まる時に「主の死を告げ知らせる」ことを忘れないように促している。告げ知らせるとは、食事の間に行われたことであり、聖なる神秘の荘厳な宣言と賛美であった。ここもまた、過越祭の古い伝統にあったように、家の主人がエジプトの奴隷状態からの脱出についての敬虔な報告の名残りが伺われるが、それに取って代わるのは、イエス・キリストを通しての解放の新しいメッセージである。
  会食のある時点で、主の代表者がパンと杯をを取り、主が命じたことを行っただろう。それ以前は、誰かが語り、皆が聞くというような精神面の記憶に限られていた。語る、聞く、よく考える、受け入れる、これらも記念の一種だが、不十分である。ミサの前半できねんされることが、信仰者の心の内以外はまだ存在しない。信仰者の心と魂を揺り動かす、絶えず力のある愛と恵みとしてしか存在しない。そこから続く出来事は異なった意義を持っている。司祭が、つまり主に代表者が、「これはわたしのからだである」言葉を述べるとき、記念されるものは、今や実際に、真に、現実に存在するようにもなる。
  「これはわたしのからだである」、「これはわたしの血である」、この最も聖なるセンテンスのこの「である」は、私のからだを「意味する」とか、「象徴する」とか、いかなる状況であってもそのようにとらえるべきではない。主の戒め、「あなたがたは、『然り、然り』『否』『否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」(マタイ5・37) が最も急務であるのは、この場合である。
   これらの言葉をいじくるのは、悪いことだけではなく、冒涜に等しいことである。これらの言葉が表現するのは最も単純な真理、出来上がるのは純粋な現実である。この言葉を語ったのは、数千年この方の偉大な宗教家ではない、最も偉大な宗教でさえない、神の子である。彼の言葉は、神秘的奥深さの表現ではない、命令であり、それも天と地におけるすべての権能を持った方からの命令である。全能の言葉であるので、人間の話し方には同等のものはない。主の言葉としか比べることはできない。例えば、主が「起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。 」(マタイ8・26)また、重い皮膚病の人に、「よろしい。清くなれ」(マタイ8・3)と言われた。ヤイロの死んだ娘に、「子どもよ。起きなさい」(ルカ8・54)。けれども、本当の同等の言葉は、父なる神の「あれ」(光あれ)にある。それで、天と地が存在し始めた(創世記第一章参照)。キリストがミサの聖なる言葉を、その記念を守り行うために任命された人々に与えた。その起源は、それらを話す司祭や司教にではなく、キリストにある。ところが、これらの言葉が恩恵として神から与えらえた(完全に与えられた)ために、キリストに従順であるためにそれらを話す司祭自身の言葉にもなる。従って、ミサは記念祭であるが、非常に特殊的な記念である。聖木曜日に起こったことは、実体変化の言葉を通して、永遠の命のための糧としてのキリストご自身の賜物は、再び成立する。それは、聖なる夜における救い主の行為に、外面てにも似たような形で、である。
   ミサの記念はユニークなものである。人間の文化レベルにおいては全く見出さないので、人間の産物と比較することはできない。他宗教の一見して似たような象徴的行為とも比べることはできない。我々はその可能性の限界を定義できる立場にあると思ってはならない。我々はできるのは、「聴く」ことである。ミサで何が起こるのかは、啓示から聴くしかない。
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訳注 : Visus, tactus, gustus in te fallitur, sed auditu solo tuto creditur; credo quidquid dixit Dei Filius: nil hoc verbo Veritatis verius.
聖トマス・アクィナスはその著名な賛歌アドロ・テ・デヴォテの中で Visus, tactus, gustus in te fallitur, sed auditu solo tuto creditur(視覚、触覚、味覚では理解できないが、耳だけ残る、耳で聞いたから安心して信じることができる)と歌い上げている。
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  これより簡単に、これより直接に明らかにすることができないほど、示されている。シンボルの問題にすべきではない。使徒たちは、現代の心理学者や象徴研究家のようなタイプではなかった。古代文明の人たちであり、彼らの考え方の特徴は客観性、現実性にある。彼らはカファルナウムでのイエスの話を忘れていなかった。その話の中で、多くの人たちにとって我慢できないぐらい、イエスは本当の食べ物、本当の飲みもととしてご自分をささげるという事実を強調していた。こうして、イエスは弟子たちに、妥協のない信仰の二者択一を直面させた。
   使徒言行録やコリント教会への第一手紙、またこの神秘についての初代キリスト教の諸文書には、シンボリズムの名残りは全くない。例外なしに、啓示として受け止められている。どうして可能であるか、という疑いにかけることは一切ない。全てが可能である神からのコミュニケーションであり、命令である。
    我々がとれる態度は、テストするのでも、批判するのでもない、信じるのみである。信じるというと、その中に従順であることも含まれている。神秘的な事柄であるので、神の言葉に基づいてのみ認めることができる。神による神秘という事実を見過ごせば、全部消えてしまう。ミサの核心である聖変化の直前[現在は、直後]に、注意と合図を呼びかける言葉、「信仰の神秘」、が置かれているのはこのためである。忘れるなかれ!我々は今神秘に直面している。
   この叫び、この呼びかけがカファルナウムを思い起こさせる。そこでも、救いを拒否する危険性が露わにされていた。

ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」
イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。 
それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……。 
命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。 
しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。 
そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」 
このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。 
そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。 
シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。 
あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」(ヨハネ6・60〜69)
   
  

Monday, August 29, 2016

24 新しい契約の記念

24  新しい契約に記念

イエスは、自らの存在とその贖罪的運命の記念を、弟子たちに残すべく行為をどのように定めたのか。聖ルカによると、次のように。


「過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。 
イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、「行って過越の食事ができるように準備しなさい」と言われた。 
二人が、「どこに用意いたしましょうか」と言うと、 
イエスは言われた。「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、 
家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか」とあなたに言っています。』 
すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。」 
二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。 
時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。 
イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。 
言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」 
そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。 
言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」 
それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」 
食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」(ルカ22・7〜20)

年の最初の月の十日に毎年律法に従って祝われていた過越祭である。それは、出エジプト記第12章に記されている神的命令を果たすことである。数世紀にわたってイスラエル人は奴隷としてエジプトで暮らしていた。それから、神がファラオに民の解放を命じるためにモーセを立てた。ファラオは拒否したため、彼の抵抗を克服するために、神によって送られた不可思議な疫病は彼にだけしばらく影響を与えていた。今や、ファラオの頑固さを破るために意図された、最後の災いの最も恐ろしのは手元にあった。それは、その土地のすべての人間及びすべての動物、獣の初子(ういご)の死であった。しかし、神が民にご自分が主であろことを証明するために、また解放の記憶を深く意識に焼き付けるために、神がこの出来事に心と感情に印象を残すに間違いない形を与えた。神がヘブライ人の各家族に、子羊を殺すように命じ、その血で戸口の側柱にしるしをつけるように命じた。こうして死の天使が、土地を通る時に、側柱のしるしを見て通過することになる。(出エジプト記12・11〜14参照)。この出来事の記憶は、生かされるために記録され回想されるだけではなく、毎年典礼儀式で祝われるようになった。このように、神が過越の祭典、「ぺサハ」を制定した。
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過越はヘブライ語で《ペサハ》という。すなわち《通り過ぎる》という動詞から来ている。エジプト脱出という神の救いのわざ全体を表す重要なことばになった。」(『聖週間の典礼《会衆用》』、オリエンス宗教研究所、5頁参照)。

ヘブライ語       פָּסַח
ギリシア語       Πάσχα(Paska)
ラテン語 Pascha
イタリア語 Pasqua 
フランス語 Pâque
スペイン語 Pascua
ドイツ語 Pessach
オランダ語 Pesach
英語        Passover
スウェーデン語 Pesach
ハンガリー語 Pészah 
ポーランド語 Pascha
ロシア語 пасха (paskha)
エスペラント語 Pesaĥo
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  最初のうちは、お祝いは威厳のある形をとったが、次第に楽しい祭りという性格を持つようになった。食事はますます豊かになった。食卓を囲んで杖を手に立ち、旅のために帯を締めることをやめて、快適に座るようになり、もともと規定されていたように急いで食べるのではなく、もはや安らかな会食となった。
  饗宴の儀式およそ次の通りであった。まず、家の主人は杯にワインを注ぎ祝福し、それから杯は周りの人々に渡された。その後、最初のコースを食べてから、第二の杯が祝福され、回された。それから、主人が食卓の上にあるパン種なしのパンを割き、各人に一切れを手渡す。それぞれのために主人が鉢に苦いハーブの小さな束を浸漬し、それを差し出す。この時点で、いくつかの詩篇が唱えられ、子羊が拝領された。続いて、第三と第四の杯が回された。詩篇のさらなる唱和でもって、お祝いが終わっていた。食事中に主人が、モーセの時代に戻ったかのように、記念される偉大な出来事を説明していた。

イエスはこのパターンを破った。ご自分が律法と契約の主であると知って、これまで記念されていた考えに終止符を打ち、代わりに新しい記念を確立された。同様に彼は記念される出来事によって確立されていた契約にも終止符を打ち、ご自分の死によって贖いの新しい契約を締結されts。
   イエスは、どこに手をつけたかを、我々は見ることができる。上記の聖ルカの箇所で言及される杯は、ぺサハの第三の杯である。ある解釈者は、主の言葉「皆、これを受けて回しなさい」に、「古い儀式に従って、最後の時として」と、美しくも加えている。それから、イエスはパンを取り、皆に渡す。これも、家の主人がやっていたことだが、今やイエスの言葉によって新しい意味を持つようになる。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。」そして、家の主人がいつもしていた通り、「食事を終えてから」杯を取り、祝福し、神に感謝して捧げる。ここも、イエスの言葉によって新しい意味が与えられる。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」
   生贄の動物の血によって締結された古い契約は終わりに来ている。新しい契約が締結された、これも血によってであるが、キリストの血である。キリスト自身が捧げられている、つい先に子羊が殺され、拝領されたように。彼の体は「あなたがたのために与えられる」、彼の血は、「あなたがたのために流される」。
  ここも、ぺサハのように、記念となっている。「わたしの記念としてこのように行いなさい。」 この言葉の続きであるかのように、聖パウロは第一コリントの手紙で、次のように書いている。「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られる時まで、主の死を告げ知らせる」(1コリ11・26)。
以上、ミサの制定が成り立っていつのは、このような出来事である。キリスト自身が、彼の愛、贖いとなる彼の運命が、その中味である。キリストが、古い契約という鋳型(いがた)に流し込んで、それを完結したのである。儀式的会食という形だけは残っている。それ以降は、新しい契約は、歴史の終わりまで、「主が来られる時まで」、それらの中味を保つのである。





Monday, August 22, 2016

23 記念としてのミサ聖祭

23 記念としてのミサ聖祭

前章では、ミサを理解するために欠かす事のできない、ミサの永久の制度生が強調された。ミサは、時間と共に変わる宗教的感情またはニードの直接な表現ではない、ということを見てきた。ミサは永久に定まったものであり、永続する。「天と地のすべての権能を授かっておられる」方によって制定され、その方の意志にそって行われなければならない。
  本章では、さらに一歩進んで、十分理解されるのはまれで非常に重要な問題を取り上げる。その内容を完全にはっきりと引き出すために労を惜しまない必要がある。
  ミサという制度は一つの更なる要素を持っている。それは記念である。
  人類の諸宗教において、さまざまな制度はどこにでも現れる。それらは、自由によるさまざまな経験に、永続的で拘束性のある形態を与える。その形態の内容は大きく異なる。一年の暦における重要な転換点(例えば、春)の周りに発展することもある。その場合の祭りは、成長の新たな始まりを祝いでもって歓迎し、お天道様の祝福を求める。あるいはまた、生涯の諸季節における重要な転換期から生まれる制度もある。例えば、思春期にまつわる儀礼において、成長している若者を祝福して、待っている人生に送り出す。若者の繁殖力が是認され、新しい大人として部族コミュニティに受け入れられる。お祝いの背後にある動機は何であれ、たいてい生命の何らかの重要なプロセスは宗教的な聖別を受ける。才能と権威を持った人物は、特定の部族や人種に合わせて開発し、主たるシンボルを導入し、後世の義務として定めた。
  ミサ聖祭を定めた方のことをさておきながらも、ミサにおいて行われることが全く異なる性質をもっている。部族の祭典では、半宗教半自然的な性質をもった普遍的な価値、教え、しきたりが表現される。季節やライフリズム、罪悪感と罪の償い、戦争の始まりと終わり、干ばつ、飢餓、疫病の訪れなどが未来を脅かしている。ミサにおいては、たった一人の人とその運命だけが関心事となっている。ミサにおいては繰り返し行われること、呼びかけられることが、すべての人の存在に共通する自然や知的または神秘的な力関係とは異なる。かつて生きた人間とその運命の記念だけがミサの内容となっている。
  どうしてであろうか。
その人間は、この世的な意味で偉大な支配者、立法者、勇者、あるいは技術や科学の重要な開拓者であったからであろうか。いいえ、そうではない。彼の生涯と業は、人々の救済に欠かせないから、彼は救い主だったからである。
もちろん、他の宗教の祭典にも、過去の特定の人物とその運命の重要な部分を表す聖なるアクションを見出すことができる。例えば、[古代]ギリシアの密教にはマイナデスの手によって死んだディオニュソスの引き裂かれた死体は新たないのちに復活する。デメテルの秘儀には、母なる地球が娘を失った嘆きと、再び見出した喜びとがある。これらの祭りも特定の出来事を脚色していた。ところが、ディオニュソスの秘儀にしても、デメテルやヒッポリュトスにしても、これらの人物は歴史に存在したものではない。その重要性は、感覚との関係で、擬人化された諸力にある。神話上の人物は、この世の諸要素を擬人化している。ディオニュソスは一定の地域に住んだわけではない。歴史の中で一定の運命に出会ったことがない。
ディオニュソスの現実性と言えば、それは生命の神秘性、そのすべての栄光と危険を表すイメージである。生命の神秘性は生き物があるところに必ず目立つ、特に、春、収穫時期などの一年の節目において。ディオニュソスは神話的詩の産物であった。ナザレのイエスは神話ではない、詩の詩の主人公でもない、シンボルですらない、現実であった。この区別は、極めて重要である。なぜなら、宗教学の研究は神話の重要性を発見した時から、キリスト教も神話に基づいた宗教だろうと無理やりに示そうとされた。実のところ、神話の世界とキリスト教の間に鋭い違いがあるということに関して議論の余地もない。キリスト教の創始者とその使徒たちは旧約聖書の文化圏から出てきたという事実だけでも分かるように、現実と神話の境目を曖昧にしたことはありえない。旧約聖書と神話とは縁もゆかりもないからである。神話とは、先見の明のある天才にシンボルとして採用された人物や出来事であり、人生の意味を宗教的に理解するために使われたものである。このような独創性のあった人々は、一定の人種や時代の宗教的経験全体をどっぷり深く吸い込んで、その本質を見事なまでに表現したから、彼らのビジョンは非常に長い間権威を持ったものである。ところが、それは常に現実、もっと正確的に言えば歴史的現実の問題ではなく、あくまで神話的表現の問題であった。神話の真理性は、神(々)とその運命がシンボルする神秘的な諸力と実生活との関連性にある。この種の神話は、旧約聖書には存在しない。旧約聖書は、廟堂に住み幻を見る仙人の垣間見た、世界の謎に対する宗教的答えのようなものではない。旧約聖書は、聖なる神の単純な現実に基づいている。神は世界に依存するものではない。神は世界の神秘的基礎受け(Urgrund)ですらない。神は天地の創造主、その天主である。
みこころならば、神が特定の人々を選び、彼らと関係を持ち、思し召に従うようにさせるのである。ここで、雰囲気、属性、精神的な態度、決定的な価値観や生き方、すべてが神話とは異なっている。一見して神話的な性質のものも、吟味すれば違って見える。例えば、天地創造やノアの洪水の物語は分析されれば、神話とは無縁のものであると分かる。旧約聖書の「創造と洪水神話」の話をする人は、無知であり、場合によってはごまかしをしようとしている。誰でも真心こめて聖書の物語とバビロニア及びその他の中近東のサーガ(saga 英雄伝説、長編冒険談)を読めば、その本質的な違いを確認することができる。ナザレのイエスは、陰となっている神話の世界からではなく、旧約聖書の明確な日光から我々のところに来た。
   イエスは、降霊術による救いの別の擬人化、オシリス神やディオニュシオス神と並ぶ救い主ではない。彼は本当に生きた人物である。人となった神の生きた子であった。一人の人間であった。彼は、一定の国の歴史の中で位置付けられうる。彼は、わずかのずれもありうるが、歴史学的に確認可能な一定の領域、年月の間に活躍したのである。ナザレのイエスの周到知られている生涯は紛れもなくユニークである。彼の運命と死の根本的なものは知れ渡り、妥当に世界史の一部として報告されている。彼の敵でさえ、彼のことを神話として退けたことはない。歴史の中でのイエスの立場は、ディオニュシオスのように、あいまいな昔々ではない。ディオニュシオスは過去に属するものと見なされていたが、どこまで遡っても結局到達できない時点にあった。なぜなら、ディオニュシオスは時間にではなく、感覚やシンボルの永遠の次元に横たわっていたからである。イエスの生涯と人格は、丸ごとの霊的豊かさ、贖う力を持ちながらも、同時に「どのように?」、「いつ?」そして、「どこで?」という質問に、明確に歴史的な答えを与えることができる。ミサの中で記念されるイエスは、如何様なるものである。
   イエスの記念の制定はある預言者や使徒のキリスト経験から発行されたものではない。主ご自身によって命じられた。記念される内容と、記念する命令は両方同じような歴史的な明快さで現われ出た。さらに、制定は制定者の生涯の一部ともなっている。死ぬ前の晩、イエスはこの制定一つに自らの運命の全てを集め、その中においたのである、すべての人に伝わるために。
  旧約聖書は、一種の自然宗教でもなければ、一種の民族宗教でもない。それは、さらなる行動の礎として神の独特の行為から湧き出たものである。旧約聖書の宗教の始まりは、人の履歴の始まりである。神によって選ばれ、神と契約を結んだ人の履歴である。最初はアブラハムと、そしてその後シナイ山でアブラハムの子孫と結ばれた契約の履歴である。
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訳注:  [履歴] 現在までに経て来た学業・職業などの次第。来歴。経歴。履歴書を参照。(広辞苑)。
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ミサで記念される出来事はこれと似ているが、桁違いに、より崇高、より重要な意義をもっている。この聖なる記念は、一つの行為にイエスの経歴全体を展開し、同時に神と人々の新しい関係(契約)を現している。この新しい契約は、イエスの行為と人格に基づかれている。それ以来、歴史の流れは続くが、人々の間にある神の国の歴史となる。
  従って、我々はミサに行く時、我々の存在に宗教的表現を与えるために、昔ながらの象徴行為に立ち会うことではなく、イエスという特定の人格とその運命を記念するのである。その人格は、預言者による、詩人による作り話ではない。イエスは実際に生きた人物である。彼は皇帝アウグストゥスの治世の下で、皇帝が全領土の住民に登録するようにとの命令が出された年に生まれた。
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訳注: 
新約聖書にあるアウグストゥスの住民登録の年代は、ローマの史実と合致していないという主張もあるが、ヘンリー・ハーレイ著「新聖書ハンドブック」(いのちのことば社、2009)
によると、ルカ2:1-5のクレニオ[キリニウス]の住民登録についてこう記している。

「ローマ帝国の資料はクレニオの住民登録を後7年とする。これはイエスが
生まれる10-13年「後」である。この史的食い違いは長い間聖書研究者に
とって難しい問題だった。しかし、近年発見された古代のパピルスから、
クレニオが2回シリヤの総督だったことが分かった。ルカはこれが「最初の」
住民登録であったと明言している。また、人々が登録のために実際に
先祖の故郷へ帰る必要があったことも分かっている。」(p649)

キリニウスは紀元前12年からパレスチナの司令官であった。アウグストゥスが紀元前8年に出した人口調査命令にもとづく住民登録はローマから離れたパレスチナで行われるまで数年を要し、紀元5年頃に実施されたと考えれば、つじつまが合う。
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イエスは、ポンティウス・ピラトゥスがパレスチナの総督であったときに死んだ。ベツレヘムで生まれ、ナザレで育った。
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訳注:
100年以上この方、イエスはベツレヘムで生まれたかどうかを巡って激しく論争は繰り広げらてきたが、結局福音記者の既述や伝統的に言われてきたことに反対する十分な論拠はないということが、今日の研究者共通の意見である。
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彼が公に教え、活躍したのはその時代の他の多くの教師と同じであった。もし、考古学者たちがナザレのこの時代にあったシナゴーグを発掘するようになれば、我々は次のように言うことができる。「イエスは、イザヤ書の解釈を行ったとき、この場所で座っていた。ヨハネ福音書が報告するように(第4章)、猛烈な反発を受けたのは、ここだ」、と。
  ミサというのは、歴史的事実の記念である。もっとも厳密な意味での記念である。

Wednesday, August 10, 2016

The world as it is

We do not want joy and anger to neutralize each other and produce a surly contentment; we want a fiercer delight and a fiercer discontent. We have to feel the universe at once as an ogre's castle, to be stormed, and yet as our own cottage, to which we can return to at evening.

Sunday, August 7, 2016

第2部 22

k第2部  ミサの本質

前置き

本書は読者がミサに本物の参加ができるように準備することを目的としている。第一部では、完全な参加ができるように、そして維持するための態度を取り上げた。この第2部では、主の記念自体を取り上げ、理論的情報より、やはり神聖な行為への準備を目指す。
  両部のテーマは密接につながっているので、繰り返しは避けられない。一定の文脈において必要な概念があれば、読者は別の場所を参照することは期待すべきではない。しかも、何回も強調して言われてきたように、本書は読者を正しい実践に導くためにあるので、正しい実践を言い換えれば練習となるから、繰り返しには訳があるといえるだろう。

22  制度としてのミサ

信仰生活は、人間を神に結ばせることである。神についての単なる知識または体験ではなく、実際の一致である。神は存在する。人間も存在するが、その存在は神を通してのみ、神の目の前でのみ、可能である。神から人間へ、そして人間から神へと、地上におけるどのような絆よりも、両者の間は実在で、いのちに関わる絆がある。神と人間のこの絆が人間経験、人間の考え方、振る舞いに影響を与えるのが、我々の信仰生活である。
    信仰生活は二重の方向を取ることができる。信仰が日常生活に入り、様々な仕事や葛藤、人々と物事に関わり、作業や職業と関連する。
  ある人は、厳格な義務感で職務を受け入れ、実行することによって、神のみ旨を果たそうとする。別の人は、神的戒めを破りたくないので、不公平な行いを拒否する。もう一人は、
英雄的な忍耐で辛抱し、キリストへの愛のために誰かを助ける。
  これらすべてが本物の信仰生活である。以上三つの行き方は偽らない信仰の表れである。これらの行き方において信仰が日常生活の心髄となっている。聖書で言われる「神に従って歩む」(創世記17・1, 24・40)ことである。
  ところが、信仰は日常生活から離れ、直接に神を求めることもできる。ある信仰者は、外なる仕事や出来事から離れ、聖書を黙想する。自分の関心事を神と関連付けて、神の観点から自らの振る舞いを振り返り、新たな知恵と力を得る。あるいは、みことばを受け入れるために、礼拝の集会に参加し、そこで神のみもとに自らの意向を捧げる。礼拝のために集まる会衆は、その場所自体からして、普段の生活から離れている。
  この両方の方向は善いことであり、実に互いに支え合っている。直接に信仰を表す行為において人は、我に帰って、光と力を受け、より高い心意気で日常生活に戻る。また、日常生活で体験される仕事や葛藤、運命から厳粛に礼拝堂に行く必要性を感じる。礼拝堂でまた、新たな光と助けを受ける。日々の生活が要求することが常に信仰の真偽をテストしている。その中で、単なる信心深い感情と重みのない幻想を認識することができる。
   ミサ聖祭は、信仰生活の第二のカテゴリーに属している。それは、直接に神を求める一つの方法だけではなく、神と信者の間の直接的な関係の心臓部である。クリスチャンは教会に行くとき、彼はくだんの世界に背を向け、神のために聖別された場所に入るのである。そこで彼は、会衆の他の人々と一緒に、神のみ顔の前で神聖な奉仕を捧げる生きた捧げものとなる。
   今一度大切な区別を設けなければならない。信仰生活の第二のカテゴリーで神を求めるのに行われることは、直接に我々の経験や要望から出てくるのではない。また、我々は教会で集まるのは、大きな一般的必要性応じて我々の差し迫った意向を表すためでもない。もちろん、これも可能であり、人間に可能な最も強力な敬神体験でもある。すべてが神から造られ、すべてが神に帰る、その神の前で一致して集まること。
  ところが、ミサ聖祭で起こることは異なっている。ミサとは、自らを理解し得る、霊的に自らを贖い得る存在の直接的な表現ではない。時の流れにおける感情より、賛美の言葉と啓示の行為を形作った能力の産物ではない。むしろ、前々から独立的に一回限り永遠に、設計され秩序づけられ、妥当と定められたことである。その都度、個人や会衆の神との関係から生じるものではない。神から信仰者へ降るものであり、信仰者がそれを認め、それに身を委ね、それを行うように、との要求を伴う。ミサが存在するのは、キリスト教徒たちの独創力によってではなく、キリストの制定によってである。
  したがって、誰でもミサを祝うということはなく、権限のある人のみできる。父親は家長(霊的な意味でも)とされる文化圏では、家族全体に拘束力のある習慣や祝日を制定することができる。
  それと同様に、宗教的身分のある人、司祭は、あるいは(霊的な権威のある場合)国王は、一定の教区や王国において、一定の祝日を制定することができる。宗教史には、無数な事例がある。
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訳注:  聖パトリックの祝日(英: St Patrick's Day、セントパトリックス・デー)は、アイルランドにキリスト教を広めた聖人聖パトリックの命日。3月17日。カトリックにおける祭日であり、アイルランド共和国の祝祭日。アイルランドでは何世紀も前からこの日を祝う伝統が受け継がれてきたが正式に1903年より祝日となり、イギリスから独立後徐々に祭礼日として成長した。
  感謝祭は祝日となるアメリカ合衆国の祝祭日(ナショナルホリデイ National Holiday)のひとつである。現代の感謝祭では、宗教的な意味合いはかなり弱くなっており、現代アメリカ人の意識の中では、たくさんの親族や友人が集まる大規模な食事会であり、大切な家族行事のひとつと位置づけられている。
祇園祭(ぎおんまつり)は、京都市東山区の八坂神社(祇園社)の祭礼で、明治までは「祇園御霊会(御霊会)」と呼ばれた。貞観年間(9世紀)より続く。京都の夏の風物詩で、7月1日から1か月間にわたって行われる長い祭である。祭行事は八坂神社が主催するものと、山鉾町が主催するものに大別される。疫病の流行により朝廷は863年(貞観5年)、神泉苑で初の御霊会(ごりょうえ)を行ったことから始まった。
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  しかし、我々は今検討している制定は、一定の家族、民族、帝国にだけ効力があるのではない。むしろ、すべての人種、すべての時代のための祝賀の絶対的規範、霊的生活の核心であると主張される。誰であっても、このような制定を定める権限を持つ人間は一人もない。すべての本物の権威は神から来るとしても、このような絶対的な権威を持てる地上の権威は存在し得ない。
 神は、すべての人種すべての時代にとって義務的行為を定める人を立てたことがない。それは、出来ないからという意味ではなく、ただ単にそうはしなかったということである。普遍的に唯一の制度としてのミサを制定したのは、神からの使者でも、預言者でも、祭司長、王でもなかった。それは、永遠なる父のひとり子、この世に受肉した神であった。ご自分のことについて、「わたしは天と地の一切の権能を授(さず)かっている」(マタイ28・18)と言われた。すべての人種、すべての時代に救いの言葉を述べるのは彼である。が、預言者の述べ方とは異なる。「昔の人は、、、、しかし、わたしは言っておく」(マタイ5・21-28参照。何回も違いは強調される)。「わたしの父はわたしを通してあなた方に語ってくださる」ということさえ言われない。むしる、「まことにまことにわたしは言う」、そして「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」(マタイ24・35)、また、「全世界に行ってすべての造られたものに福音を述べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける」(マルコ16・15〜16)と付け加える。山上の説教の終わりの方に、ご自分の言葉への従順だけは永遠のいのちの唯一の土台である、それ以外の事柄に基づいたいのちは、神の目の前で、無に帰する、と宣言しておられる(砂の上に建てられた家の譬えを参照、マタイ7・24〜27)。
  奇跡は、興奮なしに誇示せずに行われている。奇跡に対するイエスの穏やかさ、理解し切った態度は、なさりたいことは何でもやり遂げることに慣れた人の態度である。どこでも旧約聖書における神の自己啓示は、ご自分が主である、物事の主だけではなく物事から独立して主である、自らの権限で、在りて在る者であるから、という態度で貫かれている。主権が彼に属するものである。これと同じような主権がキリストにもある。
  神にのみ限られて使われていた名称、「Kyrios Christos キュリオス・キリストス」は早い段階で、子なるイエスにも使われたことは偶然ではない。イエスの現れ方は、とっくの昔に定められた結論、当然の結論の容易(たやす)さという性格をもっていた。なぜなら、彼は実際に主であったから、彼の主権は物質世界だけではなく、それより果てしなく偉大主権、律法と契約に対する主権に及んでいたからである。ファリサイ派の人々は、イエスの弟子は安息日に麦の穂を摘んでいたことで、律法を破っているととがめた時に、イエスは答えたのは、「人の子は安息日の主なのである」(マタイ12・8)ということである。安息日の主ならば、律法全体の主でもある。最後の晩餐で、イエスは古い契約が満たされ、新しい契約は制定される、と正式に宣言している。新しい契約、信仰生活の核心と原動力は、それはユカリスティアであった。(ルカ22・20参照)
我々は事の次第を詳しく知っている。マタイ、マルコ、ルカの諸福音書は、イエスが死ぬ前に弟子たちと一緒に最後の過越祭をどのように祝ったかを描いている。その祝い方は伝統的な形とはかなり異なるが、その間に自らの記念における新しい祝日と、自らの血における新しい契約を制定した。ヨハネ福音書は、かファウルヌムでの説教を伝え、その中でイエスは人々にご自分の肉と血のユカリスティアを約束している(ヨハネ第6章参照)。最後にパウロは第一コリントの手紙、第11章でユカリスティアに言及している。そこでパウロは強調しているのは、主ご自身がパウロに啓示したことである(1コリント11・23)。
   イエスが制定したことは、その後、神によって批准された。この事柄に関しては人間は何かを創り出し決定するように呼ばれていない。人間の役目は、命令に従い、行動することである。その上、神によって制定されたことは、保護と指導のために特別な権威に委託されている。
   主がまず神秘を制定し、後は信者の信心深いインスピレーションにませた、というようなことも考えられる。もし、そうしていたならばその神秘は歴史を通じて、各国権力、人種、エポックの特殊性によって形成され着色されたであろう。その中心的なテーマの展開は信仰者の経験や創造力に引き渡されていたであろう。
  しかし、キリストがそうはなさらなかった。キリストは、自由に流れる精神またはその時々の宗教的インスピレーションに任せたのではない。むしろ、彼自身が確立した職務に委託した。ご自分の弟子は、ばらばらの個々人として、雑多の信念や経験を持つ個々人として生きるように望んだのではない。逆に、構成統一的なもの、言い換えれば教会として生きることを望んだ。使徒たちを選んだ時すでに、教会に職務と権威を付与されていた。「はっきり言っておく、あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタイ18・18)。「あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである」(ルカ10・16)。この職務は歴史全体を通じて確立された。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28・20)。そのために、使徒たちはその職務を渡す事のできる後継者がいなければならない。
  この職務に、教会に、キリストが制定なさったことが託されたのである。教会の権威が聖なる奉仕の形態の詳細を定める。それは、何世紀の過程で諸民族や時代の特性に適応されたものの、その核心は同じのままである。それを保持したのは教会である。適応自体や違いは歴史的状況によって成り立ったのは部分的であり、主たる原因は教会の職務自体にある。常に活躍してきた教会の責任者たちは、細部を適応し並び替えたが、全体の統一と効果を保ってきた。
このことから、我々に求められる態度は分かってくる。それは、信仰と敬虔さと生き生きとした参加である。我々の態度は、個人の経験や独創性にのみ導かれるべきではない。個人任せといわけにいかない。賜物を受け入れる、そして命令に従う、これが正しい態度である。信者は、ミサに出席するとき、自分の宗教的感情を表現するためにも、特別な信頼を被る霊的才能を持った人の指導やインスピレーションを受けるためにも、行くべきではない。信者たちは、神よって確立された秩序に入るために、所定の奉仕に参加するために、ミサに出席するのである。
  典礼の細部に関する批評はある程度ゆるされるだろう。しかし、評論家となる資格はどんな高くても、宗教的自己表現が上手でも、本質に関しては個人的要望や好き嫌いすべてを捨てなければならない。これは、信者が子供扱いされる、ということを意味しない、単なるドメイン(領域)の明確化である。理にかなっていれば批評に意味がある。ミサの批評には何の意味もない。街の照明システムを批判することができても、太陽の批判は何の意味もない。一定の庭の配列に欠点を見出すことはありうるが、自然的秩序、植物の成長、胚芽、成熟に関してはナンセンスである。ミサの場合は、スケールは比べることはできないが、それと似ている。主の制定は啓示に属するものである以上、天地創造そのもののスケールに属するものである。これを確認するのは、天地創造ということを理解できるための鍵となる。それを受け入れるのは、聖域への第一歩である。