23 記念としてのミサ聖祭
前章では、ミサを理解するために欠かす事のできない、ミサの永久の制度生が強調された。ミサは、時間と共に変わる宗教的感情またはニードの直接な表現ではない、ということを見てきた。ミサは永久に定まったものであり、永続する。「天と地のすべての権能を授かっておられる」方によって制定され、その方の意志にそって行われなければならない。
本章では、さらに一歩進んで、十分理解されるのはまれで非常に重要な問題を取り上げる。その内容を完全にはっきりと引き出すために労を惜しまない必要がある。
ミサという制度は一つの更なる要素を持っている。それは記念である。
人類の諸宗教において、さまざまな制度はどこにでも現れる。それらは、自由によるさまざまな経験に、永続的で拘束性のある形態を与える。その形態の内容は大きく異なる。一年の暦における重要な転換点(例えば、春)の周りに発展することもある。その場合の祭りは、成長の新たな始まりを祝いでもって歓迎し、お天道様の祝福を求める。あるいはまた、生涯の諸季節における重要な転換期から生まれる制度もある。例えば、思春期にまつわる儀礼において、成長している若者を祝福して、待っている人生に送り出す。若者の繁殖力が是認され、新しい大人として部族コミュニティに受け入れられる。お祝いの背後にある動機は何であれ、たいてい生命の何らかの重要なプロセスは宗教的な聖別を受ける。才能と権威を持った人物は、特定の部族や人種に合わせて開発し、主たるシンボルを導入し、後世の義務として定めた。
ミサ聖祭を定めた方のことをさておきながらも、ミサにおいて行われることが全く異なる性質をもっている。部族の祭典では、半宗教半自然的な性質をもった普遍的な価値、教え、しきたりが表現される。季節やライフリズム、罪悪感と罪の償い、戦争の始まりと終わり、干ばつ、飢餓、疫病の訪れなどが未来を脅かしている。ミサにおいては、たった一人の人とその運命だけが関心事となっている。ミサにおいては繰り返し行われること、呼びかけられることが、すべての人の存在に共通する自然や知的または神秘的な力関係とは異なる。かつて生きた人間とその運命の記念だけがミサの内容となっている。
どうしてであろうか。
その人間は、この世的な意味で偉大な支配者、立法者、勇者、あるいは技術や科学の重要な開拓者であったからであろうか。いいえ、そうではない。彼の生涯と業は、人々の救済に欠かせないから、彼は救い主だったからである。
もちろん、他の宗教の祭典にも、過去の特定の人物とその運命の重要な部分を表す聖なるアクションを見出すことができる。例えば、[古代]ギリシアの密教にはマイナデスの手によって死んだディオニュソスの引き裂かれた死体は新たないのちに復活する。デメテルの秘儀には、母なる地球が娘を失った嘆きと、再び見出した喜びとがある。これらの祭りも特定の出来事を脚色していた。ところが、ディオニュソスの秘儀にしても、デメテルやヒッポリュトスにしても、これらの人物は歴史に存在したものではない。その重要性は、感覚との関係で、擬人化された諸力にある。神話上の人物は、この世の諸要素を擬人化している。ディオニュソスは一定の地域に住んだわけではない。歴史の中で一定の運命に出会ったことがない。
ディオニュソスの現実性と言えば、それは生命の神秘性、そのすべての栄光と危険を表すイメージである。生命の神秘性は生き物があるところに必ず目立つ、特に、春、収穫時期などの一年の節目において。ディオニュソスは神話的詩の産物であった。ナザレのイエスは神話ではない、詩の詩の主人公でもない、シンボルですらない、現実であった。この区別は、極めて重要である。なぜなら、宗教学の研究は神話の重要性を発見した時から、キリスト教も神話に基づいた宗教だろうと無理やりに示そうとされた。実のところ、神話の世界とキリスト教の間に鋭い違いがあるということに関して議論の余地もない。キリスト教の創始者とその使徒たちは旧約聖書の文化圏から出てきたという事実だけでも分かるように、現実と神話の境目を曖昧にしたことはありえない。旧約聖書と神話とは縁もゆかりもないからである。神話とは、先見の明のある天才にシンボルとして採用された人物や出来事であり、人生の意味を宗教的に理解するために使われたものである。このような独創性のあった人々は、一定の人種や時代の宗教的経験全体をどっぷり深く吸い込んで、その本質を見事なまでに表現したから、彼らのビジョンは非常に長い間権威を持ったものである。ところが、それは常に現実、もっと正確的に言えば歴史的現実の問題ではなく、あくまで神話的表現の問題であった。神話の真理性は、神(々)とその運命がシンボルする神秘的な諸力と実生活との関連性にある。この種の神話は、旧約聖書には存在しない。旧約聖書は、廟堂に住み幻を見る仙人の垣間見た、世界の謎に対する宗教的答えのようなものではない。旧約聖書は、聖なる神の単純な現実に基づいている。神は世界に依存するものではない。神は世界の神秘的基礎受け(Urgrund)ですらない。神は天地の創造主、その天主である。
みこころならば、神が特定の人々を選び、彼らと関係を持ち、思し召に従うようにさせるのである。ここで、雰囲気、属性、精神的な態度、決定的な価値観や生き方、すべてが神話とは異なっている。一見して神話的な性質のものも、吟味すれば違って見える。例えば、天地創造やノアの洪水の物語は分析されれば、神話とは無縁のものであると分かる。旧約聖書の「創造と洪水神話」の話をする人は、無知であり、場合によってはごまかしをしようとしている。誰でも真心こめて聖書の物語とバビロニア及びその他の中近東のサーガ(saga 英雄伝説、長編冒険談)を読めば、その本質的な違いを確認することができる。ナザレのイエスは、陰となっている神話の世界からではなく、旧約聖書の明確な日光から我々のところに来た。
イエスは、降霊術による救いの別の擬人化、オシリス神やディオニュシオス神と並ぶ救い主ではない。彼は本当に生きた人物である。人となった神の生きた子であった。一人の人間であった。彼は、一定の国の歴史の中で位置付けられうる。彼は、わずかのずれもありうるが、歴史学的に確認可能な一定の領域、年月の間に活躍したのである。ナザレのイエスの周到知られている生涯は紛れもなくユニークである。彼の運命と死の根本的なものは知れ渡り、妥当に世界史の一部として報告されている。彼の敵でさえ、彼のことを神話として退けたことはない。歴史の中でのイエスの立場は、ディオニュシオスのように、あいまいな昔々ではない。ディオニュシオスは過去に属するものと見なされていたが、どこまで遡っても結局到達できない時点にあった。なぜなら、ディオニュシオスは時間にではなく、感覚やシンボルの永遠の次元に横たわっていたからである。イエスの生涯と人格は、丸ごとの霊的豊かさ、贖う力を持ちながらも、同時に「どのように?」、「いつ?」そして、「どこで?」という質問に、明確に歴史的な答えを与えることができる。ミサの中で記念されるイエスは、如何様なるものである。
イエスの記念の制定はある預言者や使徒のキリスト経験から発行されたものではない。主ご自身によって命じられた。記念される内容と、記念する命令は両方同じような歴史的な明快さで現われ出た。さらに、制定は制定者の生涯の一部ともなっている。死ぬ前の晩、イエスはこの制定一つに自らの運命の全てを集め、その中においたのである、すべての人に伝わるために。
旧約聖書は、一種の自然宗教でもなければ、一種の民族宗教でもない。それは、さらなる行動の礎として神の独特の行為から湧き出たものである。旧約聖書の宗教の始まりは、人の履歴の始まりである。神によって選ばれ、神と契約を結んだ人の履歴である。最初はアブラハムと、そしてその後シナイ山でアブラハムの子孫と結ばれた契約の履歴である。
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訳注: [履歴] 現在までに経て来た学業・職業などの次第。来歴。経歴。履歴書を参照。(広辞苑)。
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ミサで記念される出来事はこれと似ているが、桁違いに、より崇高、より重要な意義をもっている。この聖なる記念は、一つの行為にイエスの経歴全体を展開し、同時に神と人々の新しい関係(契約)を現している。この新しい契約は、イエスの行為と人格に基づかれている。それ以来、歴史の流れは続くが、人々の間にある神の国の歴史となる。
従って、我々はミサに行く時、我々の存在に宗教的表現を与えるために、昔ながらの象徴行為に立ち会うことではなく、イエスという特定の人格とその運命を記念するのである。その人格は、預言者による、詩人による作り話ではない。イエスは実際に生きた人物である。彼は皇帝アウグストゥスの治世の下で、皇帝が全領土の住民に登録するようにとの命令が出された年に生まれた。
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訳注:
新約聖書にあるアウグストゥスの住民登録の年代は、ローマの史実と合致していないという主張もあるが、ヘンリー・ハーレイ著「新聖書ハンドブック」(いのちのことば社、2009)
によると、ルカ2:1-5のクレニオ[キリニウス]の住民登録についてこう記している。
「ローマ帝国の資料はクレニオの住民登録を後7年とする。これはイエスが
生まれる10-13年「後」である。この史的食い違いは長い間聖書研究者に
とって難しい問題だった。しかし、近年発見された古代のパピルスから、
クレニオが2回シリヤの総督だったことが分かった。ルカはこれが「最初の」
住民登録であったと明言している。また、人々が登録のために実際に
先祖の故郷へ帰る必要があったことも分かっている。」(p649)
キリニウスは紀元前12年からパレスチナの司令官であった。アウグストゥスが紀元前8年に出した人口調査命令にもとづく住民登録はローマから離れたパレスチナで行われるまで数年を要し、紀元5年頃に実施されたと考えれば、つじつまが合う。
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イエスは、ポンティウス・ピラトゥスがパレスチナの総督であったときに死んだ。ベツレヘムで生まれ、ナザレで育った。
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訳注:
100年以上この方、イエスはベツレヘムで生まれたかどうかを巡って激しく論争は繰り広げらてきたが、結局福音記者の既述や伝統的に言われてきたことに反対する十分な論拠はないということが、今日の研究者共通の意見である。
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彼が公に教え、活躍したのはその時代の他の多くの教師と同じであった。もし、考古学者たちがナザレのこの時代にあったシナゴーグを発掘するようになれば、我々は次のように言うことができる。「イエスは、イザヤ書の解釈を行ったとき、この場所で座っていた。ヨハネ福音書が報告するように(第4章)、猛烈な反発を受けたのは、ここだ」、と。
ミサというのは、歴史的事実の記念である。もっとも厳密な意味での記念である。
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