Tuesday, November 22, 2016

31B

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以上のことすべてが、契約という言葉の重みを完全に理解するために、明白でなければならない。とりわけ、この世的な持ちつ持たれつ、神性と部族の同盟、神的力と地上の力の融合、ある人種の歴史の中の神の歴史の始まり、これらはすべて論外であること。これらの概念がすべて消え去るまでは、想像もできないことは明らかにならない。絶対的な自由の中で、宇宙の主は人々を選び出し、彼らに語り、彼らを対応できるよう処理すること。主は忠誠心を誓い、彼らから忠誠を要求する。主が地上で神的仕事を始め、それに奉仕するために一定の部族に命じる。もし、その部族は神の命令に従うために、自らの自然的歴史的あり方を放棄するならば、部族としての達成感を直接に神の主権から受けるであろう。

   ところが、ヘブライ人は神の呼びかけを拒んだ。彼らは自らの人種意識にしっかりとしがみついて、その中に頑なになった。何世紀にも渡って予告されていた神の御子が、契約を成就し終えるようになると、神と人々の関係は再び契約の形をとっている。最初の契約の人々は、メシアを引き渡して彼を殺し、その不従順に冠をかぶせた。信仰と愛によって結ばれていたはずの二番目の契約は、今やイエス・キリストの犠牲である血によって結ばれることになる。

   救い主は、第一契約の不従順な人々によって準備された運命を受け入れ、それを第二契約の犠牲の捧げ物に変える。第二契約は、世界の主である父を新しい民に結びつける。しかし、新しい民は、人種的集団ではなくなり、地球のすべての種族が含まれ、信仰によって統一された霊的集団となる。

  だれでもキリストのメッセージに心を開き、彼を信じるところでは、その人は聖ペテロが最初の書簡で述べたように、「選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。」(ペテロ29

  新しい契約は、それがまったく別の次元に存在するため、あらゆる国民から何も取らず、どの国家の歴史をも邪魔することなく、神の民を招集するのである。

   契約という思想がキリスト教徒の意識からいかに完全に消滅したかは、奇妙なことである。それについて言及したりしているが、我々にとってその意味は疎くなってしまった。

我々の信仰生活は、新しい生命、新しい世界、神の王国の概念によって決定付けられている。これらのすべては、この世のそれらに対応する概念と結びつき、自明なものとして偽装する傾向がある。しかし、脱皮の時は必ず来る。そのとき、キリスト教思想の見た目の自然性が落ち、キリスト教的存在が単なる自然の続きではなく、キリスト教の秩序は自然と人間世界の上に単純にとって付けたものではなく、神の自由から「下降する」ものであり、人間の自由によって捉えられ保持されるべきものである、とぎくっと実感するようになる。

神は人を彼の前に召喚する。神の戒めと呼びかけを聞くと、人は自分自身を浮き世のものに過ぎないものから自由になり、この世へのしがらみを解いて、神への忠誠を示すことになっている。

そのとき起こるのは、自然と歴史の過程に基づいたことではなく、意識と精神の発達ではなく、恵み、呼びかけ、自由、決意である。そのすべてが契約の考え方に含まれているものである。我々はクリスチャンとなっているのは、契約の所以(ゆえん)である。この考え方は、他のより親しみのある再生と新しい創造の概念を補完しなければならない。契約と再生、個々人の尊厳と責任、そして新しい命の豊かさ、この二つの偉大な概念は互いに属し、相互に支え合っているのである。

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訳注: 「自然と歴史の過程に基づいたことではなく、意識と精神の発達ではなく」という文言はヘーゲル哲学、とりわけ『精神現象学』を思わせるものである。人間の精神は「絶対精神」(=神)の精神を分有したものであり、これを歴史を通して実現していく、というのがヘーゲル哲学体系における骨格である。その「実現」は必然的なものであり、神と人間の自由のためにほとんど場がない。ヘーゲルの神に祈りをささげる必要はない。

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  聖なるミサは人間との神の新しい契約を記念するものである。これを認識することで、ミサのお祝いに最も有益な意味が与えられる。この考えを念頭に置くことは、キリストの犠牲の死によって新しい天と新しい地に我々のために開かれたことを思い起こさせることである。すなわち、自然と才能や宗教的能力に基づいているのではなく、恵みと自由に基づいた契約が、キリストと我々の間に存在すること。それは人から人への結びつき、忠誠心へ忠誠心で答えることを意味する。すべてのミサで、我々はその契約を再確認し、その中に意識的に我々の態度を決めるべきである。

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