Friday, June 27, 2014

27 per annum A

年間27主日 Α

【マタ21:33-43「ぶどう園と農夫」のたとえ】

 『「ぶどう園と悪い農夫」のたとえの意味』    
  ここで主イエスが話された「ぶどう園と悪い農夫」の譬えを読むと、創世記に記されている「アダムとエバ」の物語が思い浮かぶ。神は、彼らをエデンの園に住 まわせ、すべての良いもので満たしてくださった。しかし彼らはただ1つ与えられた戒めを破ってエデンの園を追い出された。次に思い出すのは、神がモーセを 通して奴隷の状態からイスラエルを救出された出来事である。彼らは救出してくださった神の言葉に従わず、たびたび反抗した。
 この譬えは、その 後のイスラエルの歴史が網羅的に示されている。この譬えで、主人はぶどう園を農夫に貸して旅に出た、と言われている。主人は神を指しているが、神は世界 (ぶどう園)を人間に託しておられるので、この世界におられない。それをよいことにイスラエルは神から遣わされた僕(預言者など)の言うことを聞かず自分 勝手にふるまった。そして最後に神は独り子(イエス)を遣わすが、ついに殺してしまう。
 私たちが生きているこの世界では、誰の目にも明らかなよ うに、神を見い出すことはできない。しかし聖書は、神が万物を創造し、この世界を人間の手に委ねられた、と記す。人間は神が見えないこと、また神が干渉さ れないことをよいことにして我が物顔にふるまっている。それが人類の歴史である。そしてこの譬えが語られた時点で、当時の指導者は、イエスを十字架に掛け てしまう。 『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』という聖書の言葉を引用して、主 イエスはそのことを明らかにされた。当時の指導者(権力も知識も持ち合わせていた)にとって、イエスは、大工が不必要と判断して捨てる石に見えた。しかし イエスが『この石がだれかの上に落ちるれば、その人は押しつぶされてしまう。』と言われたように彼らは滅んでしまった。捨てられたはずのイエスは、2千年 経った今なお人々の救い主として崇められている。真に不思議なことである。

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