御降誕祭 日中のミサ
ヨハネ1・1-18
ことばにはいろいろあります。あたたかい言葉、冷たい言葉、人を傷つける言葉、人を励ます言葉、内容のあることは、うわっつらな言葉。わたしたちの心は、この言葉によってそうとう左右されています。とげ(毒)のある言葉で心は傷つき、冷たい言葉によって、ときには失望したり、はては絶望してしまうこともあります。逆にあたたかい言葉によって、心の安らぎをおぽえ、内容(知恵)のある言葉によって、ひらめきを得たり、大きく飛躍し、羽ばたいていったりすることもできるのです。
さて、言葉がわたしたちの希望となり、言葉がわたしたちの人生を照らし、言葉がわたしたちをほんとうにあたためるとはどういうことでしょうか。そうなる言葉の条件はいったいなんでしょうか。
たとえば、ある青年が悩んでいるとしましょう。彼は、恩師(信頼できる人)のところにいき、その悩みを打ち明けます。恩師は彼の苦しみを感じ、彼の痛ましい姿を心に受けとり、その痛ましい姿を見て見ぬふりをすることができなくなります。恩師の心はやさしさにみち、この痛ましい姿に共感します。そこからこの青年をなんとかしてあげたい、という思いがわいてきて、そしてそれが助言の言葉となっていきます。当然言葉をかけるまえに、どういうことをどういってあげたらいいのか、この青年の将来のためにどうしたらいいか、考えると思います。そして、自分のいままでの人生経験に照らして、真剣に考え、自分の思いをまとめ、そしてそれを言葉にしていきます。こうしたことばは、この青年の希望となり、励ましとなるわけです。つまり、言葉が、希望になり励ましになり、その人生を照らすものとなるための条件とは、一つは愛であり、そしてもう一つはその人格の深さ、経験の深さ、これだと思います。
言葉になるまえに、相手の存在を自分の中で感じとる。そして痛ましく思う。それをほんとうに深いところで、自分の全体で感じとってしまう。そういう相手に対する思いやりがまず第一です。この思いやりのない、相手に対するやさしさのない、相手を痛ましく思うことのない心からでる言葉、それは冷たい言葉になります。相手を傷つける言葉になります。実際に役に立つことのできない言葉になってしまいます。
それでは、こういった面でキリストはどうだったでしょう。キリストは神の愛からでてきたかたです。天のおん父はおんひとり子を与えてくださるほどこの世を愛されたとあります。天のおん父は、わたしたちの痛ましい姿をごらんになり、その痛ましい姿をしっかりと受けとって、見て見ぬふりをすることがおできにならない。そういうところからでてきたキリストの誕生です。キリストにはまず愛があります。キリストの姿の背後にはまずわたしたちに対する限りのない愛があります。思いやりからでる言葉、わたしたちをほんとうに痛ましいと感じることからでてくる言葉、これは、やはりわたしたちの希望になるはずです。キリストは、まさにそういうかただったということです。
しかもそれは、たんなる思いつきからでてくる言葉でもありません。人間をほんとうに育てるためになにが必要なのか。人間をほんとうに導くためには、どんな光が必要なのか。人間を罪の病からほんとうに解き放すためには、どのような恵みが必要なのか。じっくりと考え、しっかりと人間をみつめながら、わたしたちのために父なる神様が心をひらいてくださった、それがキリストだというわけです。キリストの中には、わたしたちへの神の愛がこめられています。そしてキリストの中にわたしたちの人生をいやし、照らし、導き、完成しようとする神の思いがすべてこめられているのです。キリストはまさに神の最高の言葉といっていいのです。
そしてもう一つ、忘れてはならないことは、言葉はいのちであるということです。言葉にはその人の内面のいのちがすべてこもっているということです。恩師の言葉、その中には恩師のいのち、その人生がすべてあるということなのです。言葉には、恩師の生きてきたいのちそのものがこめられているはずです。そこで、恩師の言葉をすなおに心から受けとれば受けとるほど、恩師の人格が伝わってきます。恩師のいのちが伝わってきます。いのちを伝承することができるわけです。
ですから、神の言葉には、神のいのちそのもの、神の内面の生命そのものがこめられていると考えてもまちがいではありません。つまり、キリストはわたしたちに向かって神のいのちを伝えてくれるかたでもあるのです。たんに、わたしたちのための神の愛というだけではない。わたしたちの人生を照らす光というだけではない。神のいのちそのものをわたしたちに伝えてくださる、そういった言葉であるということです。このようなキリスト、神の言葉としてのキリスト、それをわたしたちはしっかりとみつめなおす必要があると思います。キリストの中に神のわたしたちに対する光がある。わたしたちに与えようとする神のいのちそのものが、生きているということです。
JUAN, 1, 14
No sera menos un enigma esta hoja
que las de Mis libros sagrados
ni aquellas otras que repiten
las bocas ignorantes,
creyendolas de un hombre, no espejos
oscuros del Espiritu.
Yo que soy el Es, el Fue y el Sera
vuelvo a condescender al lenguaje,
que es tiempo sucesivo y emblema.
Quien juega con un nino juega con algo
cercano y misterioso;
yo quise jugar con Mis hijos.
Estuve entre ellos con asombro y ternura.
Por obra de una magia
naci curiosamente de un vientre.
Vivi hechizado, encarcelado en un cuerpo
y en la humildad de un alma.
Conoci la memoria,
esa moneda que no es nunca la misma.
Conoci esperanza y el temor,
esos dos rostros del incierto futuro.
Conoci la vigilia, el sueno, los suenos,
la ignorancia, la carne,
los torpes laberintos de la razon,
la amistad de los hombres,
la misteriosa decocion de los perros.
Fui amado, compredido, alabado y pendi de una cruz.
Bebi la copa hasta las heces.
Vi por Mis ojos lo que nunca habia visto:
la noche y sus estrellas.
Cono ci lo pullido, lo arenoso, lo desparejo, lo aspero,
el sabor de la miel y de la manzana,
el agua en la garganta de la sed,
el peso de un metal en la palma,
la voz humana, el rumor de unos pasos sobre la hierba,
el olor de la lluvia en Galilea,
el alto grito de los pajaros.
Concoc i tambien la amargura.
He encomendado esta escritura a un hombre cualquiera;
no sera nunca lo que quiero decir,
no dejara de ser su reflejo.
Desde Mi eternidad caen estos signos.
Que otro, no el que es ahora su amanuense, escriba el poema.
Manana sere un tigre entre los tigres
y predicare Mi ley a su selva,
o un gran arbol en Asia.
A veces pienso con nostalgia
en el olor de esa carpinteria.
Jorge Luis Borges, Elogio de la Sombra, 1969
JOHN 1:14
This page will be no less a riddle
than those of My holy books
or those others repeated
by ignorant mouths
believing them the handiwork of a man,
not the Spirit’s dark mirrors.
I who am the Was, the Is, and the Is To Come
again condescend to the written word,
which is time in succession and no more than an emblem.
Who plays with a child plays with something
near and mysterious;
wanting once to play with My children,
I stood among them with awe and tenderness.
I was born of a womb
by an act of magic.
I lived under a spell, imprisoned in a body,
in the humbleness of a soul.
I knew memory,
that coin that’s never twice the same.
I knew hope and fear,
those twin faces of the uncertain future.
I knew wakefulness, sleep, dreams,
ignoran ce, the flesh,
reason’s roundabout labyrinths,
the friendship of men,
the blind devotion of dogs.
I was loved, understood, praised, and hung from a cross.
I drank My cup to the dregs.
my eyes saw what they had never seen-
night and its many stars.
I knew things smooth and gritty, uneven and rough,
the taste of honey and apple,
water in the throat of thirst,
the weight of metal in the hand,
the human voice, the sound of footsteps on the grass,
the smell of rain in Galilee,
the cry of birds on high.
I knew bitterness as well.
I have entrusted the writing of these words to a common man;
they will never be what I want to say
but only their shadow.
These signs are dropped from My eternity.
let someone else write the poem, not he who is now its scribe.
Tomorro w I shall be a great tree in Asia,
or a tiger among tigers
preachin g My law to the tiger’s woods.
Sometime s homesick, I think back
on the smell of that carpenter’s shop.
ヨハネによる福音書 一章十四節
(ホルヘ・ルイス・ボルゲス、 斉藤幸男訳 『闇を讃えて』 水声社 18頁以下)
この紙片が謎となるのだ、
わたしの聖なる書物の一葉一葉よりも。
そしてまた人々の愚かな口先が
聖霊の朧気(おぼろげ)な反映とはつゆ知らず
人間の手になるものと看傲しては繰り返す
かの聖なる諸節なぞよりは。
ある、あった、あるだろうわたしは
絶え間のない時であり表象である言葉へと
ここに再び立ち返るのだ。
子供を相手に戯れる者は
何かしら身近で不可思議な存在と戯れている ―
わたしの子供らと戯れようと
驚きと優しさに満ちてわたしはその中にいた。
不思議な力が働いて
奇(くす)しくも胎内からわたしは生れ出た。
魔力に搦(から)められ身体の虜となって
取るに足らぬ人間としてわたしは生きた。
その度に姿を変える硬貨 ― 記憶を
わたしは知った。
期待と恐れ 一 不確かな未来のふたつの顔を
わたしは知った。
目覚めと眠りと夢を、
無知と肉体を、
から回りする理性の迷宮を、
人と人との友愛の心、そして
犬たちの不可思議な献身をわたしは知った。
愛され理解され崇められ、十字架に吊るされた。
澱(おり)まで杯をなめ尽くした。
わたしの両の眼が未だかつて見たことのない
夜と星屑とを見た。
すべすべした、さらさらの、不揃いの、ざらざらしたものを、
蜜と林檎の味わいを、
乾いた喉を潤す水を、
掌にのせられた金属の重みを、
人の声を、小草を踏みしめる足音を、
ガリラヤに降る雨の匂いを、
鳥たちの甲高い鳴声をわたしは知った。
そしてまた苦味をも知った。
さる男に書き取るように頼んだ
もはやわたしの言いたいこととは異なって
ただその反映にすぎないものを。
これらのしるしはわたしの永遠からこぼれ落ちるのだ。
傍らにいる書き手その人ではなく別の誰かがこの詩を書き取って欲しいものだ。
明日にはわたしはアジアの巨樹となり、
虎たちに混じる一頭の虎となって、
森なかで自ら法を説くことだろう。
時には懐かしさのあまり
あの仕事場の木の匂いを思うだろう。
No comments:
Post a Comment