Thursday, December 27, 2012

神の母聖マリア 一月一日 Mater Dei Mother of God


神の母聖マリア  一月一日

【ルカ2:16ー21 羊飼いと天使】

きょう一月一日、私たちはさまざまな思いを持ってこのミサに集まっています。そしてともに祈ることでこの一年を始めようとしています。今日のミサは、聖母マリアの姿を仰ぎながら、すべての祝福が御子イエスによってもたらされたことを思い、新しい一年に向けての祝福を祈り求めるという意味があるでしょう。
また、きょうのミサは豊かな内容をもっていますので、その中から、私たちの祈りのポイントを考えてみましょう。

クリスマスから八日目

デパートや商店街では、12月25日を過ぎるとクリスマスの飾り付けはすっかり取り払われてしまいます。慌ただしい年の瀬が過ぎ、やっとのんびりとしたお正月を迎えたところで、クリスマスなんてもうどこか遠くへ行ってしまったような感じかもしれません。しかし、教会では12月24日まではクリスマスの準備の期間(待降節)で、クリスマスからイエスの誕生の祝い(降誕節)が始まります。きょうは主の降誕からちょうど一週間目。きょうのミサの福音はクリスマスの余韻(名残り)を残しながら、イエスの誕生八日目の割礼と命名を記念します。典礼暦から見ると、きょうのミサのテーマの中心はここにあります。教会はお生まれになった幼子イエスの光のうちに新年を迎えるのです。
 赤ん坊のイエス、それは小さな光(しるし)です。しかし、「飼い葉おけに寝かせてある乳飲み子」というこの小さなしるしのうちに、私たちはひとり子を人類の一員として与えてくださった神の愛と救いを見いだします。どんなに苦しいことがあっても、どんなに打ちひしがれていても、神は私たちとともにいてくださる、この(降誕の)喜びと希望のメッセージのうちに教会は新年を迎えました。ひとり子イエスを与えてくださった神の愛に感謝しながら、幼子イエスの光がすべての人に及ぶように、きょう私たちはいのります。

新しい年の祝福

 きょうの第一朗読は民数記にある祭司の祝福のことばが読まれます。答唱詩編も神の祝福を願いながら歌いました。これは福音と関連しているというよりも年のはじめを意識したものです。新しい年の上にまず神の祝福を祈るのです。祭司の祝福で「主が」と三回繰り返されるように、祝福の源は神ご自身であり、祝福とは何よりも神がともにいて恵みを注いでくださるということです。
 昨年一年の間、神から与えられた恵みを感謝しながら、新しい一年も神がともにいてくださるように、そして私たちが神とともに歩めるように祈ります。

神の母聖マリア

 きょうの祝日のタイトルは「神の母聖マリア」ですが、福音朗読に登場するマリアの姿は「これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」姿です。マリアは幼子イエスの誕生にまつわるさまざまな出来事を深く心に留め、そのすべての中に神の救いのわざの偉大さと不思議さを感じとっています。
 私たちの身の回りにもいろいろな出来事があります。喜ばしい出来事も、辛く悲しい出来事もあります。新年に向けて私たちは、教会の母マリアとともにこれらの出来事を思い巡らします。私たちも、日々の一つ一つの出来事の中に神が働いておられることを味わっていくことができますように。
 聖母マリアを思い浮かべながら私たちが祈るとき、もう一つ忘れてならないのは、天使のお告げを受けたときのマリアのことばでしょう。「お言葉どおり、この身に成りますように。」(ルカ1・38)私たちにさまざまな願いがあります(お告げを受ける機会に恵まれるかもしれない)。しかし、マリアと同じ深い信頼のうちに、私たちはまず神のことば、神のみ旨の実現を祈りたいものです。

世界平和の日

 新年に世界の平和のために祈ろう、と呼びかけたのは教皇パウロ六世でした。私たちはもちろんそれぞれ自分の家庭の平和や幸福を願います。しかし、それだけではなく、すべての人を救うために来られたキリストを思いながら、きょう、世界中のすべての人と心を合わせて平和のために祈るのです。マリアがイエスをこの世に生んだことによって、本当の平和をもたらした。そのために母マリアの祝日は平和の日となったと思われます。

人間と親しくなろうとする神は人間になって、弱い赤ちゃんとしてお生まれになりました。母マリアは、何が行われているかをよく理解できません。ただ、これらの出来事一つ一つを「心に思い巡らしていた」と書かれています。神のなさることは人間には理解しにくいものです。現代でも神の計画はなかなか理解できないのに、ましてやマリアの時代なら、なおさらのことです。
 強い人が幸せに暮らし、貧乏人はより貧しくなる状況。毎日何万かの子供たちが飢え死にする状況。戦争のために家、家族、すべてを失った難民の状況。神はこれらの状況を、どうしてなくさないのかと考えます。そのときマリアは大切なことを教えてくれます。たとえ私たちが今すぐ、その意味を理解できなくても、とりあえずこれらのことを全部、心のなかで受けとめるのです。そして、自分にできることを神から示されるとき、積極的に自分の役割を果たす決心を立てるのです。

だれもが、子供が生まれると喜びます。その誕生を祝う気持ちがあります。しかし、人々が子供を産み育てることにかつてほどの期待を向けなくなっているという現状があります(少子化社会)。たしかに、実際に生まれてくる一人、二人の子供に対しては、今まで以上に手数をかけ、その誕生を祝い、子育てに強い関心をはらう親が多いと思いますが、もっと根源的な意識の中では、生み育てることがかつてほどの価値を持たなくなっている。換言すれば、そのほかにもっといろいろ追求価値があって、子供を産み育てることは相対的に地位が低下した。
 そしてまた、聖母マリアに象徴されるような、赤ん坊を抱く母親を美化し、理想化する思想もイメージも、かつてに比べてその力をウ失っている。その意味での母性愛神話がすでに過去のものになった現代にとって、聖母マリア・イメージをどうやってもう一度人々が抱きなおすことができるかが、クリスマス(新年)にあたって問われています。実際の母親たちは、その多くが、赤ちゃんに自分の関心も思いやりも愛情のすべてを注ぐという心の状態に、かつてほど安住することができなくなっています。

 母親を美化する思想、価値観が失われただけでなく、実際に生み育てる母親の身になってみると、社会的な仕事もしなければならない。しかし、夫のサポートも、実家の母や姑(しゅうとめ)、ひいては地域社会のサポートもなかなか得られない。母親であることが深刻なストレスを担うことを意味してしまいます。
これら諸条件を改善し、現代女性にふさわしい形で、安心して母と子の二人の世界に安らぐことができるような条件を作り上げることが、クリスマス(新年)を祝うことを契機に大いに工夫されなければならないでしょう。
 新しい年が始まりました。1月1日。「世界平和の日」と定められています。このミサの中で特別に、戦争や分裂、憎しみや飢え渇きなどのない平和な世界が来るように祈っていきましょう。
 教皇ベネディクト16世は2006年度の平和メッセージの中で、平和は真理のうちにこそ達成される。その真理をしっかり自覚することの大切さを強調します。ここで真理とは、すべての人間が平等な尊厳を備え、神の似姿として作られていること。神が人類のため計画を実行されていること。善と悪は存在するのであるが、その存在をすべての人が認識できることを指しています。


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