私達は人生の歩みの中で、決然と一つの目標を見定めて行動を起こさなければいけない時があります。それは、学校を選んだり、仕事であったり、結婚もまたそうでしょう。そのためには困難なこと、辛いこと、寂しい思い、そして順境であろうと逆境であろうと、その志を保ち続ける強い心が求められます。
58節に出てくる〈狐〉は、夜行性の動物で夜間には餌を求めて動き回ります。雑食性でねずみ、うさぎ、きじ、かえるなどの小動物、それから果実、特にぶどうを好むとされています。そのような〈狐〉でも、昼は〈(巣)穴〉で休むのです。〈空の鳥〉は昼間自由に空を飛びまわっているように見えますが、夜間には休む〈巣がある〉のです。このような動物でさえ、巣が必要であり、その恩恵を受けているのに、イエスの伝道旅行は、定まった住まいはなく、導かれるままに旅をすることであったのです。それは、日常生活のあり方を放棄し、任務に献身することでした。ですから、イエスは日常の生活よりも使命を優先する覚悟があるかどうかを彼に問われたのだと思います。
だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。二頭の牛に鋤を引っ張らせて畑を耕す農作業が喩えに使用されています。真っ直ぐに耕すためには農夫は正面を見ていなければならないのです。〈うしろを見る〉と、耕した跡が曲がりくねってしまって、満遍なく畑を耕すことはできないのです。熟練した農夫はそのことをよく知っていますから、〈手に鋤をつけてから、うしろを見る者は〉いないのです。ところが、〈神の国〉のために働こうとしている人の心が、古い人間関係に引きずられてしまうことがあります。もちろん、〈あなたの隣人を愛せよ〉という風に、人間関係の大切さを聖書は教えているのですが、〈神の国〉を求めることが最優先にされるという条件においてなのです。
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