Sunday, March 24, 2013

33 per annum C


年間第33主日 C
ルカ21・5-19


人々は、神殿の外装の美しさに心を奪われ、神殿の主である神を忘れてしまっている。移り変わる世の中、あらゆる物事が崩壊していく中で、見つめるべきことは「神のはからい」なのでしょう。
大切なことは、神殿が美しく飾られている栄光のとき、神殿が破壊されるとき、物事がどのように激動のうちに変化したとしても、神は常に変わることのない愛情を私たちに注いでおられます。その愛情にこそ、目をむけるようにとイエスは人々に語りかけます。パウロも「落ち着いて仕事をしなさい」と述べています。つまり、目先のことで必要以上に歓び舞い上がったり、逆に、どうにもならないと落ち込んだりするのではなく、日々の生活を心こめて、神の変わらぬいつくしみに信頼し、毎日を淡々と真心こめて生きることがキリスト者の生き方なのだと云いたいのでしょう。マラキの預言で言われているように、滅びゆく悪と罪の状態の真っ只中にあって、「義の太陽が昇ります。」神のいつくしみと公平な恵みだけが確かなものとしてこの世を照らすのです。神のいつくしみは、いつも変わることなく、あまねくあらゆる人々を照らし暖めているのです。sese07
人生には苦労も多い場合があります。国、公務員にとっては、大したことでなくても庶民には響きます。世の中には一見不都合なことが多すぎます。戦争とテロ、民族間の対立、疫病と飢餓、地球上のあるところでは日常茶飯的に起こっています。これでも神さまはいるの?といいたくなります。姫路で小さな女の子が殺された。命に関わる事件ともなりますと、精神状態までもがおかしくなります。このような状況にある人に向かって、今日のイエスさまのメッセージは意義深いと思います。
 現実的にこうした苦しい状況からわたしたちは逃れることはできないのです。信仰者にとっても、神の深い愛の手の中に包まれている人にとっても、幸せの崩壊、苦しみを味わう体験はいつか来るのです。どうしてでしょうか?イエスさまがそのような中での生き方をわたしたちに見せてくださったのです。真の人間の崇高さ、幸せはどこにあるのか?こうした現実の苦しみの中にあっても、神に信頼を置いて生き抜くところに、人の価値があり、それが永遠の幸せにつながるのです、と言われます。ここに、生きていることの真の意味があります、ということでしょうか。
 けれども失敗したり、挑戦もしないでいてあきらめてしまうのが、また、人間です。努力しても結果はすぐに出てきませんし、話しかけても返事は返ってこないし、・・・・・。それでも行き続けることに真の幸せを見出します。実感が湧いてきません。それでも生き続けるのです。これは人間にしかできないことだから。いつも挑戦する心と姿勢をわが身に携えましょうということでしょう。 http://mr826.net/yz/seisyo_message/archives/message/2004/0404/041114/


何か災害が起こる前に、その災害から少しでも逃れたい、それに対処する用意をしたい、あるいは、せめて心の準備をしたいと思うのは当然です。大地震が日本にいつか来るということは、避けられないことです。ですから、そのために被害をできるだけ少なくするために、その大地震がくる前の前兆を知りたい、地震予知というのが、地震学の重要なテーマだろうと思います。

弟子達がこの時、聞いたというのは、やはり自分たちがいち早くその前兆を知って自分たちは逃れたいという思いがあったから、聞くことになったのではないかと思われます。
 
 イエスはそれに対してなんと答えたでしょうか。この21章の全体は、イエスがこの世の終わりについて述べた箇所ですが、ここはどう読んでも、はっきりしないのです。終末の前兆があるのかないのか、はっきりしないのです。

人々は「先生、では、いつそんなことが起こるのでしょうか。またそんなことが起こるような場合には、どんな前兆がありますか」と問うたのです。そこからイエスの終末についての教えが始まったのです。人々がその前兆を知りたいというとき、その前兆を知って、その災害が起こる前になんとか逃れる道をみつけておきたい、その心がまえをしておきたいというところから、「先生、ではいつそんなことが起こりますか」と尋ねたのです。つまり人々がこの世の終わり、終末ということで考えていたことは、大地震が起こるとか、戦争が起こるとか、そういう人間の歴史そのものが混乱すること、あるいは、ただ人間の世界だけでなく、この宇宙全体が破壊すること、それが終末だと思っていたのです。流れ星、隕石(いんせき)が地球に落ちるとか。

終末の前兆はあるのか、というのが人々の問いでした。人々がそのように前兆を知りたがるのは、終末というものがただなにか悲惨なことが起こる日と考えているから、その悲惨さから逃れようとして、その前兆をしりたがるのです。しかし主イエスは、終末というのは、この世の滅亡のあとに本当に救いが始まる時なのだというのです。それならば、ずるがしこく、その前兆を知ろうとするのではなく、絶えず目を覚まして神の救いの日を待ち望みたいと思うのです。そのために祈りたいと思うのです。

「神殿は、当時のユダヤ人にとては、私たちが考える以上に大事なものであり、神殿が立派であれば神の栄光が輝いている、本当に神の宮であり、神の家だというふうに考えられていた。しかし、見える面に一生懸命になれば、見えない面において貧しくなるものです。物質というものと、精神というものは特別な関係にあるものです。なにか共存しにくい面があると思う。そこに古来から宗教家が簡素な生活をして来た理由があると思います。キリスト教には修道院があり、仏教には出家ということがあるように、人間生活を厳しくすることに努めることによって、精神的な面で豊かにされていくという関係があるように思います。

イエスは、神殿がどんなに立派であっても(私たちが住んでいる社会はどんな立派であっても)、つぶれる時があると言われた。預言者エレミヤもまた同じことを言った。すなわちエルサレムの滅亡を、またその神殿の壊滅を叫んだ。そのために彼は捕らえられ、殺されそうになった。それほどまで神殿は神聖視していた環境の中で、イエスの言動は勇気の要ることであった。事実イエスが十字架に付けられたとき、この人は「神殿を打ち壊して三日のうちに建てる」(マタイ27・40)と言ったことが訴える理由になっていた。
それでは、神殿がくずされるのはいつですかと、人々は聞いた。私たちが死ぬことはわかっている。しかし私たちにその日がいつであるかは知らされていない。それは神の憐れみだと思います。(あわてる。絶望するだろうから)。それと同様に、世の終わりがあることは分かっていても、それはいつであるかはイエスは言われなかった。そこに私たちが仕方がなくしいられる信仰生活でなく、自分が信じていく、言うならば私たちが責任を持って、神の前に生きていく生活があります。いつ来るかわからない終末を、きょう終末がある、そしてきょう神の前に立つかのように生きていくところに、キリスト者の終末信仰がある。」(榎)

歴史(あるいは、人生)の中で、歴史を、なんとなく、流れに乗って生きていくのではなくて、この歴史を見据えて、神の働きの中に、恵みの働きの中に、生きる信仰者として歴史を見据え、その中に神の時の徴を見る目を与えられたいと願いながら、しかしその時の徴、具体的には地震や、戦争などが起こってくるかも知れないけれども、その先に、神がイエス・キリストにおいて約束しておられることが、神の恵みの下における世界の完成だ。破壊や、破滅ではなくて、世の終りが来て破滅するぞということではなくて、それは、まだ前の徴、前触れの徴に過ぎない。終りは、耐え忍ぶ者には、命が与えられる、命を得るということです。

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年間33主日C
終末の徴
【ルカ21:5-19 】

 紀元前550年ころ、イスラエルはバビロンに征服され、ソロモンの造った神殿は破壊。主だった人々もすべて遠くバビロンに連れ去られました(バビロン捕囚)。そのユダヤ人。ペルシアにより解放され、50年ぶりに故郷の地に戻ります。そこで始めたのが神殿の再建でした。こうして新しい、しかしソロモンのものと比べると小さい、第2神殿が出来上がりました。

この第2神殿を倍に拡張し、立派なものに造り直したのが、イエス様が生まれたとき、ベツレヘム一帯の赤ちゃんを殺したヘロデ大王です。このヘロデの神殿。すべての側面が厚い金で覆われ、太陽が昇ると燃え盛る炎のような輝きを反射させた。また遠くから見ると、金の板金(ばんきん)で覆われていない箇所が純白(じゅんぱく)だったため、頂きに雪をかぶった山のように見えたと記録されています。
 ヘロデ大王。実は、エドム人という軽蔑された民族の出で、残酷で、自分の子ども二人さえ、王位を狙っていると思い殺しています。奥さんもです。当然嫌われていました。しかしこの輝かしい神殿を造ったということでは、人々もヘロデを評価せざるを得ませんでした。
 この神殿を、ユダヤ人は自分たちと共に永遠にあると信じていました。この崩壊をイエス様は予言し、それはやがて現実のものとなるわけです。とにかくこの話を聞いた時、ユダヤ人はとても、嫌な思いで聞きました。民族の終わり、世の終わりを感じ取ったわけです。ちょうど私たちが「南海大地震、関東大地震 必ず来る」。そう言われたときの衝撃と怖さです。「そんな時、いつ来るんでしょう」。私たちも問いたくなるでしょう。
 
 20世紀、世の終わりを思わせる悲劇がたくさんありました。広島と長崎での原爆、ユダヤ人が600万人も虐殺されたこと、東京でサリンガスがまかれた事件、ルワンダ内戦で80万人の人が残酷に殺されたこと。ニューヨークのテロ事件、ツイン・ビル崩壊。
 世の終わりを思わせるような悪に、すべて覆い隠されてしまう。そんな絶望的な中でも、イエス様の言葉にとどまり続けることのできた人がいました。
 誰もが自分のことしか考えなくなっていたアウシュビッツで、身代わりとなって、人間としての尊厳を示したコルベ神父。ルワンダで自分の親兄弟を殺した人に対し、ゆるしの言葉を述べたイマキュレー・イリバギザ。
 
 こうして絶望的な悪の中でも、人間の希望は、愛は、完全に根こそぎされることはありませんでした。イエス様は「戦争や暴動のことを聞いてもおびえるな。人間性を失うな」と言います。
 こうして長崎も、ルワンダも、まったくの絶望、地獄の状況から復興してきました。

 神様の愛は、悪に負けるということはあり得ません。イエス様のために憎まれ、殺されることがあるかもしれない。しかしそれでも髪の毛一本失われないとイエス様は断言します。
 「殺されても髪の毛一本決してなくならない」。矛盾した言い方です。しかしイエス様は約束します。万が一、殺されるようなことがあっても、それでもイエス様を信じてとどまれ。忍耐と希望のうちにとどまれ。そうすれば確実に、永遠の命を勝ち取ることができる。
 世の終わりを感じさせること。それは今も心のどこかにあります。地球規模での環境汚染。テロの世界的な拡大。原水爆、生物兵器、大量破壊兵器がテロリストの手に渡る恐れ。しかしこれからもどんなに絶望的な中でも、イエス様の徹底的な愛とゆるしを思い起こし、愛と平和、尊厳を保ち続ける人たちが、たとえ少数であってもいるでしょう。
 私たちがそのようなものでありますように。けっして復讐や怒りにとらわれてしまうことがありませんように。愛と平和を保っていられますように。なぜならイエス様、マリア様がそのことを実践されたからです。そうして忍耐によって、永遠の命をかち取ることができますように。

 (4) 末期ガンなどのターミナル・ケア(終末医療)への取り組みが盛んになる中で、「クオリティ・オブ・ライフquality of life」ということが言われるようになりました。迫り来る死を前にした時、いかに命の長さを伸ばすか、という「生命の量」の問題よりも、残された日々をいかに充実したものとして生きるか、という「いのちの質」が問われる、という考えです。
 キリスト信者にとって「クオリティ・オブ・ライフ」の根源的なモデルは、イエスご自身の地上での最後の日々でしょう。イエスは死を目前にして最後までどう生きたか、そのイエスのいのちの輝きを見つめたときに、人はパウロとともにこう確信することができるようになるのです。
 「愛は決して滅びない。…信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(Ⅰコリント13章8、13節)
 わたしたちの人生にも必ず「終わり」が待ち受けています。その終わりに向かってどう生きるかをきょうの福音は、そしてイエスの生き方はわたしたちに問いかけているのです。

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七五三の由来

日本では古来より、
3歳になると剃っていた髪をのばしはじめる「髪置の式〔かみおき〕」という儀式を
5歳には男の子が碁盤の上で吉方に向けて初めて袴を着ける「袴着の式〔はかまぎ〕」という儀式を
7歳は女の子の着物が、それまでの付け紐を取り去り、着物の脇をふさいで帯を締める「帯解の式」 「紐落し」、「帯解き〔おびとき〕」という儀式を行っていたことに由来します。

江戸中期、呉服屋がこの3つの行事を商業政策として取り入れ、1つにまとめ、江戸の町で宣伝しました。これが今日の七五三の原型だと言われています。そして武家や有力商人などの間で流行したものが、明治以降庶民に普及しました。

昔は医療1衛生的に未発達で乳幼児の死亡率が高く、成長する子供は幸運とされていました。そのため「七つ前は神のうち」といわれ、7歳未満の子はまだ神に属するものとされ、神がその運命を決めると考えられていました。そこで人々は数々の儀礼を行うことで、子供の無事な成長を祈りました。そして7歳の祝いはその不安定な時期を乗り越えた節目の儀礼であったため、特に7歳の祝いを重視する地方は多かったようです。

なぜ11月15日?

これにはいくつかの説があります。
旧暦では11月は冬祭りのシーズンに入り、次の新年に改まる直前のお祭りで、子供たちが大き<飛躍することを祈願するのにふさわしい折り目であったから、と言う説。

徳川綱吉将軍の子、徳松の成長のお祝いを行なったのが11月15日で、それが庶民にも定着したという説。

中国から伝えられた日の吉凶を占う二十八宿という方式では、11月15日は「鬼宿目」という日にあたり婚礼以外のすべ'ての物事をする日として最良の日とされていたから、という説。
など様々です。
ですが現在ではあまりしきたりにとらわれず、11/15日の前後の祝日や、お天気の良い吉日の日等、都合の良い日に行われています。


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