Sunday, March 24, 2013

26 per annum C

年間26主日 C

【ルカ16:19-31 金持ちとラザロ】

年間26主日 C
2010-09-26 16:42:02 | Weblog
年間26主日 C
【ルカ16:19-31 金持ちとラザロ】

今日の話から導かれることは2つあります。 先週の富の使い方と同じで、富を自分のものだけにして、貧しい者への施しを怠るなら、必ず天の裁きがある。だから先延ばしせず、今すぐ回心し、富を良い目的のため用いなさい。惜しみなく施しなさいと言う意味です。 さらにもう一つの意味があると思います。今日の譬え話は、めずらしく名前が登場しています。「ラザロ」です。わざわざ名前が登場するからには、それなりの意味があると思います。 ラザロは、新約聖書に実際に登場する人物です。だからこの譬え話が語られ、「ラザロ」の名が出たとき、人々は実際のラザロのことを思い起こしつつ、この譬えを聞いたのです。 聖書中のラザロは、イエス様がたびたび身を寄せた、マルタとマリアという姉妹をもった善良な人でした。譬え話のラザロは貧しいですが、実際のラザロは金持ちだったと思われます。そしてこの譬え話が語られたとき、ラザロは元気でしたが、間もなく病気になり、死んでしまいます。イエス様はこのラザロの死を目の当たりにしたとき、涙を流してもいます。
ラザロが死んで墓に入ってからもう4日も経った。そんな絶望的な状況の中で、奇跡が行われ、墓の中から、布で巻かれたまま蘇ったのでした。しかしこの死からの蘇りも、イエス様にとっては良い結果をもたらしませんでした。なぜならまさにこの奇跡のゆえ、衆議会はイエス様の死刑を議決したからです。聖書にこう書かれています。 「イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた。しかし、中には、ファリサイ派の人々のもとへ行き、イエスのなさったことを告げる者もいた。そこで、祭司長たちとファリサイ派の人々は最高法院を召集して言った。『この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる』……
この日から、彼らはイエスを殺そうとたくらんだ」。(ヨハ11:44-48,53)  つまりこの譬え話のもう一つのメッセージ、「モーセと預言者に耳を傾けないなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう」。それは、実際に起こったのです。ラザロが死から蘇ったのを見ても、祭司長、ファリサイ派の人びとは、イエス様が神の子であることを信じることができません。逆に、このままではイスラエルの民全部がイエス様をメシアと信じるようになると憤慨し、そうなる前に、イエス様を殺すと決めたのです。 イエス様が行った最大の奇跡も、イエス様が神の子であると信じさせる結果にはなら、かえって完全な敵対関係に入っていきました。それはイエス様自身の復活のときも同じでした。何を見ても、聞いても、神が偉大な業をなしても、頑なに心は閉じていくばかり。何ら回心の助け、信じることにならず、逆に自分たちの無力さを意識し、憤慨するばかりです。 このように回心するものとしないものの間には、大きな溝があって、お互いどうしても越えることができない。それが現実です。この大きな淵の原因は、神様の罰でも、神様の冷酷さにあるのでもありません。人間の頑なさが原因です。 だから目を見張るような奇跡がないから、あっと驚くような神の力を見ることがないから、神様を信じられない。こうした心情には注意が必要です。恐らくそう言う人は仮に、奇跡を見てキリスト教を一時的に信じたとしても、今度挫折にあったとき、うまくいかないことが起こったとき、すぐ信仰を捨てることになるでしょう。 それが2000年前に起きたのでした。イエス様を賛美して迎えた人が、数日後には、十字架の道を歩み始めたと言って、罵詈雑言(バリゾウゴン、口きたない、ののしり)を浴びせたのです。「自分も救えないでどうして神の子か。神の子なら自分を救ってみろ。そうしたら信じる」。 奇跡を行わない神など信じられない。でも神の言葉を受け入れることのできない人は、たとえ死者が起き上がる奇跡を見たとしても、回心すること、自分の人間としての常識・判断を変えることはけっしてない。かえって憤慨し溝が深まるだけ。その恐ろしさがはっきり示され、警告されているのです。

キラキラ輝いても過ぎ去る富と本当の富、価値あるものの区別、さらに日常生活は永遠のいのちにつながっていること、そして毎日のように私たちの読んでいる「モーセと預言者」(みことば)から来る光(キラキラ輝くこの世の富に目を取られて)を見分けることができなかったら、たとえ死者が起き上がる奇跡を見たとしても、回心すること、自分の人間としての常識・判断を変えることにつながらない。かえって溝が深まるだけ。その恐ろしさがはっきり示され、警告されているのです。

そこには越えることのできない「深い淵」があり「境界線」がある。しかし人間の引いた境界線と神の引かれた境界線とは異なっています。神の引かれた境界線は私たちの思いを遥かに越えている。救いの内と外を分ける境界線は内と外とが逆転しているのです。ネガフィルムのように白黒が反転している。人の思いと神の思いは異なっています。

この金持ちは生きているとき、いつもラザロを見ていた。しかし金持ちはラザロとの間で大きな淵を作り、まったく無関心を装っていた。人間がほんとうに幸せになれないのは、自分の世界に閉じこもり、自分の満足だけを求めて、他の世界に無関心であることから来るのです。他人を無視し、あるいは犠牲にして、自分だけが幸福であるということは、けっしてありえないのです。そこにあるのは孤独・孤立した自分なのです。

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幸福の4つのレベルの定義

レベル1

物理的材料、快楽から得られた幸福。この幸福は最も基本的なレベルであり、おいしいチョコレートを食べてから来ることができる、スポーツ車を運転し、暑い日に涼しいプールで一泳ぎをする。レベル1の幸福は良いのですが制限されます。 それらは提供する喜びはすぐおこるが、寿命の短い断続的なものである。また、浅いものであり、考える必要もないが、自己を超えて拡張されません。

レベル2

個人の業績とエゴの満足から派生した幸福。レベル2幸福を感じるのは、人々が賛辞してくれるとき、あなたの人気と権限を認めるとき、スポーツで勝つとき、あなたのキャリアで先に進むときです。 レベル2の幸福はたいてい比較(相対)的です。エゴは他人より優位性の面で成功したからである。 他人よりカッコいいで、または他よりも重要で魅力のある人として見られるときに満足しているし、比較ゲームでまけるときは不幸を感じる。 レベル2の幸福は短期的および希薄です。あなたは今日は勝ったと幸せを感じるが、明日はまけるかもしれないという不安を持つでしょう。 レベル2の幸福感は本質的に悪いではありません。なぜなら、すべての人は、人生で良いことを達成するために、成功、自尊心、尊重を必要としているからです。 しかし、レベル2の幸福、つまり自己プロモーションは、あなたの唯一の目標になれば、自己中心につながり、嫉妬、失敗の恐れ、侮辱、孤立、そして皮肉に変わります。

レベル3

他人のために良いことをする、世界をより良い場所にすることから派生した幸福です。レベル3の幸福は 、より持続的である。なぜなら、愛、真実、善、美、一致という人間の望みに向けているからです。 レベル2の幸福は人々に分裂に導くのに対し、レベル3の幸福は、共通の利益を追求し、人々を一体させ、感激大きな成果を上げることができます。レベル3は自己中心ではなく、共感的であり、他人には欠点ばかりではなく、長所を見る。 また、人生(生活)を機会として冒険として見、克服しなければならない無限のシリーズの問題として見ていない。人々には限界があるから、レベル3の幸福にも限界があります。私たちの誰もが完璧ではないので、他の人々の中に完璧な満足を見つけることができない。

レベル4

究極の、完璧な幸福。他人々は理想を下回るとき、または私たち自身が理想に達しないとき、われわれは失望してしまう。 この失望は、超越性と完全性への普遍的な人間の憧れを指しています。我々は、単に愛、真実、善、美、と団結を望むだけではなく、我々は、これらのものをすべて究極の、完全で、終わることのない形で望みます。すべての人々は、心理学者は「超越への意欲」と呼んでいるこの究極性を望んでいる。これが大宇宙への接続という感覚を提供します。ある人は、この望みを霊性と宗教的な信仰を通じて表明する。 ある人は、芸術を通して、あるいは哲学で、あるいは科学的な努力によっていのちと宇宙の謎を解くために、同じあこがれを表現します。



The Four Levels of Happiness Defined

http://www.spitzercenter.org/html/our-approach/the-four-levels-defined.php


Level 1

Happiness derived from material objects and the pleasures they can provide. This is the most basic level of happiness, and it can come from eating fine chocolate, driving a sports car, a cool swim on a hot day, or other forms of physical gratification. Level 1 happiness is good but limited. The pleasure it provides is immediate but short-lived and intermittent. It is also shallow; it requires no reflection, and it doesn’t extend beyond the self in any meaningful way.

Level 2

Happiness derived from personal achievement and ego gratification. You feel Level 2 happiness when people praise you; when they acknowledge your popularity and authority; when you win in sports or advance in your career. Level 2 happiness is usually comparative because the ego measures success in terms of advantage over others. You’re happy when you’re seen as smarter, more attractive, or more important than others, and you’re unhappy when you lose the comparison game. Level 2 happiness is short-term and tenuous. You can be happy that you won today, and then anxious you might lose tomorrow. Level 2 is not inherently bad because we all need success, self-esteem, and respect to accomplish good things in life. But when Level 2 happiness ? self-promotion ? becomes your only goal, it leads to self-absorption, jealousy, fear of failure, contempt, isolation, and cynicism.

Level 3

Happiness derived from doing good for others and making the world a better place. Level 3 happiness is more enduring because it is directed toward the human desire for love, truth, goodness, beauty, and unity. It is capable of inspiring great achievements because it unites people in pursuit of the common good, whereas Level 2 happiness divides people. Level 3 is empathetic, not self-absorbed, and it looks for the good in others, not their flaws. It sees life as an opportunity and an adventure, not an endless series of problems to overcome. Because people have limits, Level 3 happiness also has its limits. None of us are perfect, so we can’t find perfect fulfillment in other people.

Level 4


Ultimate, perfect happiness. When others fall short of our ideals, or we fall short ourselves, we’re disappointed. This disappointment points to a universal human longing for transcendence and perfection. We don’t merely desire love, truth, goodness, beauty, and unity; we want all of these things in their ultimate, perfect, never-ending form. All people have this desire for ultimacy, which psychologists call it a desire for transcendence ? a sense of connection to the larger universe. Some express this desire through spirituality and religious faith. Others express the same longing through philosophy, through art, or through scientific efforts to solve the mysteries of life and the universe.

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