復活節5主日C
【ヨハ13:31-35新しい掟】
「互いに愛し合う」の「互いに」には別のニュアンスもあるかもしれません。これは、「自分がこれだけ愛した」という自己満足的な愛から、わたしたちをもっと豊かな人と人とのかかわりに招く言葉だと考えることもできるのではないでしょうか。愛は一方通行ではなく、人と人との間にある、深い心のつながりを表すものだからです。
人間がお互いに通じ合うことは、簡単なようで、結構難しいことです。最近はコミュニケーション(意志疎通)が大切にされ、それを円滑にするため、さまざまな情報機器も用いられている。テレビ、ラジオ、電話はもとより、携帯電話、スマートフォン、パソコン通信、インタネット、ブログ、いろいろな手段があって、情報を伝えたり、受けたりしている。非常に便利になった。
国際電気通信連合(ITU)が10月11日(現地時間)に発表した数字によると、全世界の携帯電話契約数は60億件だという。それらの1/3(20億件)は、中国とインドのものだ。総人口の70億に迫っている。
しかし、それで人間同志のコミュニケーションがうまくいくようになったかと言うと、それはまた別の話です。
不在の時に掛かってきた電話を録音し、帰ってから連絡できるようにする。そのために留守番電話は作られている。しかし、なかなか思ったようにはいかない。メッセージを残す人は少ないですね。気後(きおく)れして話せない、相手に失礼だと思うなど、さまざまな理由が上げられる。「折角つけてあるのだから伝言を残しておいてくれればいいのに」と、自分の留守番電話については思う筆者も、他人の留守番電話にはことばを残さずに切ることも稀はない。やはり面倒なんです。しかし、先方が希望したコミュニケーションにこちらが答えなかったことに違いない。ある神父に国際電話をしたら、留守番電話につながり、ミサの時間など、その教会の行事のスケジュールを詳しく知らせてはくれたが、そのまま切れて、結局その神父には連絡できないまま、おまけに高い国際電話料金を取られた、という話を最近聞きました。
自分に掛かってくる電話の大部分がミサの時間の問い合わせなので、その神父は、その人々へのインフォメーションを録音したのだろう。けれども、それ以外の人とのコミュニケーションのことには、考えが及ばなかったのかもしれない。お互いに、相手の聞きたいことを的確に知らせ、相手の言いたいことを、間違いのないように聞く。これがコミュニケーションの基本なのだけれども、今の留守番電話の例が示すように、この基本がなかなかうまくいかないのは現実です。相手に合わせるよりも、自分のペースに合わせるからです。
情報機器の発達が示すように、現代は情報の時代であり、コミュニケーションが大切にされている。しかし、その反面、コミュニケーションがうまくいかず、悩んでいる人、自分の殻に閉じこもり、孤独に苦しんでいる人の数は少なくない。むしろ、増えているかもしれない。これが現代社会のパラドックスといっても、技術は増えても満足感は増えない。イタチごっこということでしょうか。
伝えたいと思っても、どう伝えたらよいか分からない。それも情報機器の使い方が分からないのではない。どのように自分を表現したらよいのか分からないのです。うまく伝わるかどうか不安なのでやめてしまう場合もあるでしょう。相手に伝わるように自分を表現する
ことは容易ではない。なぜ相手が分かってくれないのか。コミュニケーションがうまくいかないとき、多くの場合、原因を相手のうちに求める。しかし、伝え方に問題があることも少なくない。相手に合わないやり方で伝えようとしているのです。自分の好きなようにして、それが相手に通じないといって嘆いているのである。自分の言いたいことを相手に伝えたいならば、やはり相手に合ったやり方を採らなければならないでしょう。それには独りよがりを避けて、相手をよく知らなければならない。自分の望むやり方を犠牲にしても、相手の受け取りやすい表現をとるようにしなければならない。
他人の言葉を聞くときも同じです。その表現の仕方が自分に合わなくても、相手の言おうとすることをくみ取るようにする必要がある。コミュニケーションをはかるには、ただ技術や道具だけではだめですね。伝えよう、受けとろう、理系しようとする心が不可欠です。
イエスは自分の心を表して、「仕えられるためではなく使えるために来た」とおっしゃった。今日の福音書の「新しい掟」もそうですが、本当によいコミュニケーションが成り立つためには、イエスのこの心がどうしても必要なのです。
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